聖者たちのメッセージ15カルキ・バガヴァンの教え3「マインドの超越」

聖者たちのメッセージ15

カルキ・バガヴァンの教え3
「マインドの超越」


カルキ・バガヴァンが、私たちに今伝えようとしていることは、

苦しみから如何に、永遠に解放されるかと言うことです。

それは決して、否定的なマインド(思考)を

積極的思考や創造的な思考など

肯定的なマインド(思考)に置き換えて、

平安を得る、というものでは、ありません。

例えば、プロのスポーツ選手を目指していた人が、

ケガをしてしまって、選手生命を絶たれたとしましょう。

当然、悟りを開いていない人間は、絶望し、どん底に落とされ、
もがき苦しむでしょう。

その時に、その人を、苦しみから脱出させるために、

「君、そんなに嘆き悲しむなよ、

今回の件は、君が、コーチを目指すいいチャンスを与えられたんだ。

君なら指導者としてきっと成功する。

そういうふうに、物事を肯定的に捉えなきゃ。

そうすれば、これまでのように未来は明るく希望に燃え、

成功した自分を夢見て、またワクワクして

生きられるじゃないか」と。

このようなアドヴァイスは、昔から多くの人が実践していることですが、

普通の人々には、それなりに有効で、役に立つと思います。

一時的に、平安を得られるでしょう。

しかし、このような形で、延々と、嘆き悲しみ、

苦しんでいるという現実、

このありのままの状態を無意識下に押し込め、

逃避を繰り返す人生が続きます。

全財産を損失して、苦しんでいる人は、また大金を手にすれば、

苦しみから、脱出できるでしょう。

しかし、また同様な状況に陥れば、その人は苦しむのです。

肯定的な思考(マインド)で、ハッピーに浸っている人は、

否定的な思考(マインド)がやってくれば、又すぐに苦しむでしょう。

肯定的な思考も、否定的な思考もコインの裏表の違いで、

同じコイン(マインド)に過ぎません。

しかし、カルキ・バガヴァンがディクシャとセットで、

私たちを教え導こうとしていることは、

マインド(思考、感情、エゴ他)の超越なのです。

「OK、嘆き悲しんでください、でも、

その嘆き悲しんでいる思考や感情やエゴを

見つめてください。それに気づいてください。それを味わってください。

そうすれば、その苦しみに巻き込まれなくなるでしょう。

その苦しみ、感情は、慈悲に勇気に、愛に至福に変わるでしょう。

でも、自分のマインドに気づくために、

その前にディクシャを受けてくださいね(笑)。」

以下バガヴァンの教えです。

▼質問者▲

完全なものなどないとよく言われますが、このことはこの大宇宙の創造においても同じなのでしょうか?

▽バガヴァン△

それはものごとをどう見るかによります。

「コップの半分に水が入っている」とも言えますし、
「コップの半分が空っぽだ」とも言えます。

同じように「完全なものなどない」とも言えますし
「すべてが完全だ」とも言えます。

ですから、ムクティー・ヤグニャ(悟りのコース)を通して
あなたが「見るとは何か」が分かったとき、
あなたにとってすべてが完全になるでしょう。

完全さも不完全さも、ただあなたの考えの中にあるだけです。

考えがあなたの人生を支配している限り、
相反するものが存在し続けます。

完全さ・不完全さ、善・悪、正・邪などです。

なぜなら「考え」そのものが本質として分離的なのです。

考えの構造自体が比較するというものです。

比較がなければ考えというものは決して存在できません。

マインドは考えを手放すことはできません。

考えは単に記憶であり、
もしあなたが記憶の本質を学べば、
記憶が単なる想い出や連想でなく、
比較をも伴ったものだとわかるでしょう。

いつも相反するものを前提としているのです。

考えの中には、常に相反するものが存在する、
ということが問題なのです。

考えを超越したときに始めて、
人はすべてのものをありのままに体験できるようになります。

これがこのムクティー・ヤグニャ(悟りのコース)の意図するものです。

その深みに入って行くにつれ、
多くの人がその意識状態を得ていくことになるでしょう。

そうなれば必要なときに考えを使うだけです。

それ以外に考えはありません。

考えが必要でないとき、そこには分離はありませんし、
そうなれば葛藤も生じません。

ただ直接認識があるのみです。

この状態では、どんなものも、そのままで素晴らしいのです。


▼質問者▲

あなたがおっしゃるように、あなたの創造の中では、

善悪というものがないことはわかりました。

それでは、私の内側にそうした二極分離傾向が
あるのはどうしてでしょうか?

なぜ私は絶えず物事を「正しい」「間違っている」
と分析するのでしょうか?

▽バガヴァン△

例えば、ある原住民族がいます。

彼らは、ここ(サティヤローカのこと。
以前多くのコースが開かれていた場所)
から十五キロ離れた場所に住んでいます。

彼らは衣類を着ませんし、食べるのも生野菜と果物だけです。

この原住民族には、正悪という概念はまったくありません。

しかも彼らはとても幸せな人たちです。

しかし不幸にも、人類は様々な文明を築き上げました。

その文明こそが、私たち人間に対して
「これが良いこと、あれが悪いこと」だと信じ
込ませているのです。

それがために人間の内側にも区別や分離の質が生じました。

従って、全文化、全文明が変わらない限り、
あなたはこの「正しい」「間違っている」
という構造から自由になることはできませ
ん。

これこそが今始まろうとしていることです。

黄金時代が始まったとき、正悪の概念は消失します。

何が起ころうと完璧です。

世界は完璧です。

この世界に何も悪いところはありません。

間違っているのはあなたの考え方です。

すべてはそのままで完璧です。

生も死も、健康も病気も、

富も貧乏も……すべてが完璧です。

問題はどこにあるのでしょう。

問題はあなたのマインドにあります。

「あれは起こるべきではない、これは起こるべきではない」
といっている私たちです。

世界はそういったものではないのです。

悟った人は人生とともに流れているだけです。

家族の誰かが死んだとします。

それでも彼は言うでしょう。

「それも完璧だ」と。

突然全財産を失ったとします。

「完璧だ」と言うでしょう。

大儲けしたとします。

そのときも「完璧だ」と言うでしょう。

あなたがものごとを完全に体験できるようになれば、
そこにあるのは喜びだけです。

何を体験しているのか、
どんな体験をしているのかは重要ではありません。

これがこの運動でお伝えしているポイントの一つです。

内容・対象は重要ではありません。

それを完全に体験できますか?

例えば、アリに咬まれたとします。

もしあなたがそれを完全に体験できれば、喜びです。

誰かがあなたを侮辱したとします。

あなたを傷つけたとします。

それを完全に体験できれば、アーナンダ(至福)、喜びです。

肉体的に、心理的に、感情的に何が起こっているのかは
一切大切ではありません。

実際人間は、何であろうと物事を完全に
体験する能力を失いかけています。

アイスクリームを食べているとします。

完全にそれを体験していません。

次のことを考えています。

明日の約束のことを考えています。

妻や友人が何を言うだろうかと考えています。

こういった考えが四六時中、心の中で巡っています。

今食べている食べ物を体験していません。

味わっていません。

歩いているのを味わっていません。

二つの足で歩くということは途方もない体験です。

しかしそれを味わっていません。

あなたは何も味わっていません。

すなわち、あなたにとって何も存在していないのです。

四六時中、あなたは逃げ回っています。

テレビを見て、本や新聞や雑誌を読んで、
友達と喋って……、逃げ回っているのです。

あなたは決してあなた自身と一緒にいません。

なぜならどんなことも内側で起こって
いるからです。

あなたはそれを内側では体験していません。

味わっていません。

もしあなたが内側で起こっていることを体験していれば、
人生は100%完璧です。

人生はとてつもない喜びです。

例えば、この運動に賛同しているある一組の夫婦がいます。

結婚して二十年以上になります。

ご主人は高名な医師です。
奥さんは野菜売り
(訳注…インドでは普通、貧しい人たち
がする仕事)です。

今でも野菜売りをしています。

彼らは私が今まで会った中でベストカップルです。

彼女は高名な医師と結婚したからといって、
着るものを変えることも、
香水をつけることもしませんでした。

自分の言葉遣いも変えませんでした。

そして野菜売りを続けました。

ご主人も優秀な外科医として活躍し続けました。

ご主人は彼女を体験しています。

彼女の下品な言葉を、
不快な言葉遣いをそのまま完全に味わっています。

そして彼には喜びがあります。

彼女も彼を体験しています。

そして喜びがあります。

反対に、皆さんは妻や夫を体験していません。

あなたはジャッジし始めます。
「やだやだ、酒飲みなんて!」とか

「彼はこんなひどい人間だ、あんなひどい人間だ……」と。

しかし同じ酒飲みでもあなたが映画の中で見ればエンジョイできます。

どうしてそれが妻や夫だとエンジョイできないのでしょうか?

どうしてそこに別々の価値基準が出てくるのでしょうか?

いずれにしろ自分勝手な理由で、人が作った価値基準です。

何が起ころうとそれが真実です。

そこにあるものがすべてです。

その真実は変えられません。

体験するしかないのです。

しかし、教育や社会、あなたを育ててくれた
両親が体験させてくれないのです。

あなたが人生を体験するのを阻んでいるのです。

香辛料を食べたとします。

それを完全に体験できれば、アーナンダ〈至福〉です。

悟った人とは、それをしている人たちです。

悟った人たちは、概念も価値基準も道徳観念もありまぜん。

そういったものを持っていないのです。

瞬間々で、何が起こってもそれをエンジョイしています。

何が起こってもそれを体験しています。

もしあなたが、何であろうとそれを完全に体験すれば、喜びだけです。

幸せだけです。

そして、幸せな人は他の人に害を与えることはありません。

もしあなたが人を困らせているとしたら、
それはあなたが不幸せな状態にあるからです。

幸せな人は人を苦しめることはありません。

ものは試しです。やってみて下さい。

誰かに頼み事をするとき、その人が幸せかどうかをチェックして下さい。

そして、幸せそうだったら頼み事をしてみて下さい。

もし彼が幸せな状態だったら、
きっと願い事を聞いてくれるでしょうし、
そうでなければ、きっと断られるでしょう。

悟った人たち、聖人や賢者は、創造のあらゆるものを体験しています。

空を見れば、空を完全に体験します。

何を体験しているのかは大切ではありません。
何が大切なのか?

対象が何であれ、もしあなたが体験していれば、
そこにあるのは喜びです。

喜びは人生のエッセンスです。

喜びと幸せだけしかなければ、この世界に何も問題はありません。

夫があなたを苦しめます。
あなたはそれを体験できます。

夫が小言を言ったり、不満をぶつけたりします。

もしあなたがそれを体験できれば、喜びになるでしょう。

あなたの喜びは彼の心を動かし、
あなたを苦しませるようなことはもうできなくなるでしょう。

あなたは妻や夫の小言でさえ、エンジョイできるようになります。

だからこそ私はこう言うのです。

妻は夫を悟らせられます。

夫は妻を悟らせられます。

あなた方はグル〈精神的導師)を必要としません。
(拍手!)

Oneness on the earth vol.1 (有)カルキ・センタージャパン発行より抜粋
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プロフィール

三休さん

Author:三休さん
のブログへようこそ!

昭和28年東京都江戸川区  小松川の生まれ

都電の西荒川駅前にあ
った生家には、故赤塚不二
夫さんが下宿していました。

上の写真は、昭和30年5月石森章太郎さんが赤塚さんを訪ねてきた時のもの。

赤塚さんは、その2年後有名なトキワ荘に引越しました。

徒歩数分の石毛肉店には、私と一緒に住んでいた従姉と同じ深川高校に通う五月みどりがいて、この翌年に歌手デビュー。

生家の2軒隣にその数年後、横綱柏戸が引越してきました。

私は、その後両親が近所に建てた家に引越したのですが、3軒隣にラグビー日本代表だったターザン橋本(本名橋本晋一)氏が住んでいて息子が私と同級生。

息子H君はその後早稲田ラグビー部の主将。

私が小中学校時代に通ったラグビースクールで一緒にプレーした新日鉄釜石7連覇の立役者Mr.ラグビーと言われた松尾雄治君とその後早明戦で戦ったのには驚きました。

私も高校でラグビー部に入ったのですが、挫折。結局それが遠因で、精神世界に。

そして今に至るのですが、何が幸いするか分かりません。

もし、そのままラグビーを続けていれば、何がしかの世界で成功したかもしれませんが、失敗の人生を歩んでいた可能性があります。

真の意味での成功者とは、永遠不滅の至福の境地である「悟り」に達した人々のことであり、そこに向かって着実に前進している人々のことを言います。

(「悟り」「真の成功者」に関して詳細は、本ブログ記事「ホイットニーの死をバガヴァンの教えから考察する」等をご参照ください。)

まさに「人間万事塞翁が馬」。

趣味は瞑想です。

1977年から瞑想しています。      
基本的に24時間瞑想しています。
もちろん、座って瞑想するのも大好きです。

意識の内側へ入れば入るほ
ど、より覚醒し、より自由に
なってゆきます。

瞑想をとおして、
この世界のあらゆる楽しみ、
快楽をはるかに凌駕する
時間、空間を超えたこの
現象世界の源である
永遠不滅の純粋意識、
そしてその本質である
絶対的な自由と愛と至福を体験します。

多くの方にこの事実を体験を通
して知って頂きたいと思ってい
ます。

覚醒剤もドラッグもいりません! 

ただし、瞑想には、効果的で正しいやり方があります。

正しい角度で飛び込み、正しい泳ぎ方を身につけることで、スムースに海中深くに潜ることが出来ます。

それと同様で、効果的に効率よく、マインド(心)の内側深くに入り、究極的にはマインドを超越する方法が、正しい瞑想法です。

古来より覚者方より様々な瞑想法が、伝えられております。

マインド(心)は、永遠でもなく、真我(本当の私)ではありません。

その正体は思考であり、常に変化して止まず、幻影です。

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