聖者たちのメッセージ16 悟りへのプロセス

聖者たちのメッセージ16
悟りへのプロセス

N・マハラジの言葉~ハワイの秘法ホ・オポノポノ

「苦痛の受容=自我の終焉」、

「私がある」という感覚に注意をむける、とは?


早いもので、あっというまの2009年で、今日は立春です。
私も気学や中国系の占星術も研究したりしているものですから、
立春以降が新年という感もあります。

で、今年はインドの覚者ニサルガダッタ・マハラジの
素晴しい言葉を新年のご挨拶代わりに紹介させて頂きます。

Q.苦痛は受け容れがたいものです。

A.(マハラジ)どうしてかね?試したことがあるのかね?
試してみなさい。

そうすれば苦しみには快楽が生み出すことの出来ない
喜びがあることを見出すだろう。

何故なら苦痛の受容には快楽よりもはるかに
深い所へあなたを導くという純然たる理由があるからだ。

個人の自我はその本姓からして絶えず快楽を求め、
苦痛を避けている。

このパターンの終焉が自我の終焉なのだ。

アイ・アム・ザット 私は在る 
(ナチュラル・スピリット刊)より抜粋

このマハラジの言葉は、何年も前から、この聖者たちのメッセージを通してお伝えしてきたことと重複しますが、短いながらも素晴しい内容なので、あらためて解説させて頂きます。

この言葉にはクリシュナ・ムルティ、カルキ・バガヴァンはじめ多くの覚者たちが薦める「観る」ということの真髄、そしてタパス、苦行と通常訳されますが、タパスの真の意味が語られています。

通常、人は苦痛を感じたり体験した時に、酒におぼれたり、ドラッグに走ったり、他者に責任転嫁したり、自己暗示をかけたり、友人と話をして紛らわしたり、様々な行為で苦痛を回避しようとします。

決して苦痛を真正面から味わうことはしません。

しかし、もし人がその苦痛を真正面から「観る」ことができれば、それは大いなる喜びに変換できる、とマハラジは言っている訳です。

技法としては、とても簡単で、その苦痛に注意を向ける、或はそこに意識を向け徹底的に味わう、ということです。

肉体的苦痛は言うまでもなく肉体のある箇所の苦痛ですが、実は精神的苦痛も肉体的なセンセーションなのです。

肉体と精神はリンクしているということですね。

例えば、心の中で、恐怖や不安、怒り、嫉妬、憂鬱など何かしらの苦痛を感じた時、体のどこかでセンセーションが起こっているはずです。

そこに、注意を集中してみるのです。

例えば、恐怖を感じている時には、胸のあたりでセンセーションが起こっていると思います。

そのセンセーションに注意を向けてみるのです。

その感覚は最初は大変不快で苦痛を伴うものですが、徐々にその感覚に慣れてくると思います。

苦痛が軽減してくるのが分るでしょう。

何分かかるか、何時間かかるか、或は何日間かかるか分りませんが、いづれその苦痛が消え、至福或は愛に変わるのを体験するはずです。

ここで大切なことはそのセンセーションに対する徹底的な集中です。

そして、「気づき」(純粋意識)の高まりに気づくでしょう。

何故なら、そのセンセーションに気づいた瞬間、気づきの意識、つまり純粋な意識が生まれるからです。

気づきの主体が客体或は対象であるセンセーションと同時に、主体それ自体に注意が向き始めるのです。

そして、注意を集中し続けるなら、やがて、見られる対象であるところの感情より、見ている主体の方に注意、或は意識、或はエネルギーのシフトが起こってきます。

それが、主体である「観る者」と客体である「観られるもの」、そして「観ること」の三位が一体となって合一した純粋意識(純粋な気づき)の状態です。

見る者が見る者それ自身に気づいている状態です。

その苦痛を見る、味わうことを通して、アグニと呼ばれる火のエネルギーが起こり、恐怖のエネルギーが、恐怖を味わっている、或は観ている主体(観照者)の方にシフトし流れ込んでくるのです。

これが、タパス、苦行と呼ばれることの真の意味であり、それが純粋意識の質である愛、或は至福のエネルギーに変換させるのです。

それが努力無く出来るようになるためには、ディクシャや上江洲先生のヒーリングを受けたり座って明想することも大切です。

しかし、それ以上に大切なのは、日頃から、日常生活において、朝起きた瞬間からアジナー・チャクラ(脳の中心)かサハスラーラ・チャクラ(頭頂)、或はアナハタ・チャクラ(胸の中心)に注意を向けていることです。

そうすると自然に、思考、想念、様々な感情、感覚に気づく様になります。

気づくようになれば、それらに巻き込まれ(捉われ)なくなるのです。

何故なら、気づいているということは、捉われていない、或は巻き込まれていない、ということなのです。

(悟りの状態に至るまでは、もちろん100パーセント捉われていない、ということではありません。捉われ度は、気づき、純粋意識の深さ、レベルによります。)

例えば、目の前に突然、車が飛び込んできたとします。気づいていなければ事故に巻き込まれてしまうでしょう。

でも、気づいていれば、避けることが出来、事故に巻き込まれずに済みます。たとえ、巻き込まれたとしても軽くて済むでしょう。

朝起きた瞬間から、脳のセンター或は頭頂、胸のセンターに注意を向けつつ、世界に対するマインドの反応を見るようにします。

例えば、眠気を感じていれば、それに気づく、爽やかだなーと感じれば、それに気づく、また、心のおしゃべりにも気づく、寒いな~、学校に或は会社に行きたくないな~、とおしゃべりしていたら、それにも気づき、常に心のおしゃべりを一言も逃さないくらいに気づくようにします。

また、例えば誰かの言葉にムカついたとします。

その時は、相手に注意を向けるのではなく、なにふざけたことを言っているんだと、ムカつきの原因を相手のせいにしている自己の思考とムカつきの感情の方に注意を向けます。

その時に沸き起こってくる怒りの感情や、相手を責めようとする自己の想念・思考、更にその背後のエゴに注意を向ける、或は気づくわけです。

このように1日中注意を内側に向け、思考、想念、様々な感情、感覚に気付くようになれば、それらに巻き込まれ(捉われ)なくなるのです。

そして不快な、否定的な感情も逃げることなく、味わえるようになります。

感情を味わえれば、「気付き(純粋意識)」のパワーによって感情は焼かれ、純粋になり、どんな感情も至福に変わってゆきます。

やがて、思考は河の流れを川岸から見るように、或は映画の字幕を見るかのごとく、心の中を来ては去ってゆくのに気付くようになります。

思考やその思考によって生み出される不安や恐れ、嫉妬、怒りなどの感情に振り回されることが段々無くなって来ます。

そのようにしていると、思考の精妙なレベルへの「気づき」が段々高まってきます。

そうすると、怒りなどの感情は、芽の段階で摘み取れるようになります。

慣れてくると、思考の源(アジナーチャクラ)に意識が固定されてくるので、思考、想念は減少し、最終的には不必要な思考は完全に消え、永遠に苦しみから解放されます。

この状態において、睡眠時の夢はもちろん、はじめてノンレム睡眠と言われる熟睡状態にも気づくことが出来るようになります。

これが、悟りと呼ばれる状態の最初の段階、カルキ・バガヴァンが言うところの内なるワンネス、或はマハリシ・マヘッシ・ヨーギーが呼んだ宇宙意識、インドではサクシーヴァーバ(観照意識)と呼ばれる状態です。

音(思考、想念)が微かになれば心の静寂が増す

ところで、雑念に気づくことが出来る、ということは、実は気づきの対象、つまり雑念や感情を制御できるようになるのです。

(気づき=純粋意識が高まってくると、どのような感情を作り出すことも、思考を止めることも可能になります。)

心のおしゃべりである想念に気づいていることが出来るなら、更に浄化力があり気づき(純粋意識)を高める想念、マントラに気づくようにするわけです。

ですから、注意が思考の源に至らず、雑念(思考、想念)が浮んできている段階では、そのような雑念に代え、マントラを超微かに日頃から意識することをお薦めします。

つまり、座って明想することと同様のことを日常生活においてもする、ということです。

マントラとしては、意味のない音、オームを始め色々ありますが、意味があるのもあります。
実際に試してみると分りますが、それぞれ違った感覚になります。

基本的には、神々と繋がったり、神々の守護や力を引っ張ってくる他力本願的なものが多いようです。

上江洲先生が薦めているのが、この宇宙、現象世界の創造音と言われる「オーム」、そして「我すでに神なり」(サンスクリット語ではソーハムです。これもとてもよいです。)、「我は愛なり」と言う言葉です。

最近話題のハワイの秘法、ホ・オポノポノの「ありがとう、ごめんなさい、許して下さい、愛してます、」でもいいし、
ありがとうおじさんで有名になった「ありがとうございます」
でもいいと思います。

或は「南無阿弥陀仏」でも「オーム・ナマー・シヴァヤー」でも「世界人類が平和でありますように」「私はある」など

自分がしっくりくる言葉を選べばいいと思います。

「私がある」という感覚に注意をむける、とは?

この場合、大切なのは、マントラを言葉、或は音にならないくらい精妙に思う、或は意識するということです。

そうすると、もう言葉というより感覚という感じになります。

試しに「ありがとうございます」を超精妙に繰り返し思ってみると分ります。
感謝心が自然に沸いてくるかと思います。

普通のボリューム、或は心の中で大きな音で唱えれば、他力本願的な神々の助けは入るかもしれませんが、悟りには時間が掛かるのではないかと思います。

微かに想うことで、自力本願的なものがプラスされ、つまり気づき(純粋意識)が高まり悟りが速まるわけです。

例えば、ニサルガダッタ・マハラジは、グルから「私がある」という感覚に注意をむけなさい、と薦められ実践したそうです。

そしてわずか3年で悟りを開いてしまったと、
本には書かれています。

「私がある」という言葉を超精妙にし、それを意識し続けていると言葉を超えて、「私がある」という感覚になります。

その時には、主体(真我、アートマ)が完全に意識され、無思考状態になります。
これが、いわゆる神秘家たちが使う「自覚」の真意です。

これを、24時間続ければ、アートマとの完全合一、最初の悟りです。

もちろん、私がある、という感覚は、最初から言葉なしにも意識できます。

要するに、心の最も深いレベルで何を意識するかなのです。

2009年2月4日(続く)
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プロフィール

三休さん

Author:三休さん
のブログへようこそ!

昭和28年東京都江戸川区  小松川の生まれ

都電の西荒川駅前にあ
った生家には、故赤塚不二
夫さんが下宿していました。

上の写真は、昭和30年5月石森章太郎さんが赤塚さんを訪ねてきた時のもの。

赤塚さんは、その2年後有名なトキワ荘に引越しました。

徒歩数分の石毛肉店には、私と一緒に住んでいた従姉と同じ深川高校に通う五月みどりがいて、この翌年に歌手デビュー。

生家の2軒隣にその数年後、横綱柏戸が引越してきました。

私は、その後両親が近所に建てた家に引越したのですが、3軒隣にラグビー日本代表だったターザン橋本(本名橋本晋一)氏が住んでいて息子が私と同級生。

息子H君はその後早稲田ラグビー部の主将。

私が小中学校時代に通ったラグビースクールで一緒にプレーした新日鉄釜石7連覇の立役者Mr.ラグビーと言われた松尾雄治君とその後早明戦で戦ったのには驚きました。

私も高校でラグビー部に入ったのですが、挫折。結局それが遠因で、精神世界に。

そして今に至るのですが、何が幸いするか分かりません。

もし、そのままラグビーを続けていれば、何がしかの世界で成功したかもしれませんが、失敗の人生を歩んでいた可能性があります。

真の意味での成功者とは、永遠不滅の至福の境地である「悟り」に達した人々のことであり、そこに向かって着実に前進している人々のことを言います。

(「悟り」「真の成功者」に関して詳細は、本ブログ記事「ホイットニーの死をバガヴァンの教えから考察する」等をご参照ください。)

まさに「人間万事塞翁が馬」。

趣味は瞑想です。

1977年から瞑想しています。      
基本的に24時間瞑想しています。
もちろん、座って瞑想するのも大好きです。

意識の内側へ入れば入るほ
ど、より覚醒し、より自由に
なってゆきます。

瞑想をとおして、
この世界のあらゆる楽しみ、
快楽をはるかに凌駕する
時間、空間を超えたこの
現象世界の源である
永遠不滅の純粋意識、
そしてその本質である
絶対的な自由と愛と至福を体験します。

多くの方にこの事実を体験を通
して知って頂きたいと思ってい
ます。

覚醒剤もドラッグもいりません! 

ただし、瞑想には、効果的で正しいやり方があります。

正しい角度で飛び込み、正しい泳ぎ方を身につけることで、スムースに海中深くに潜ることが出来ます。

それと同様で、効果的に効率よく、マインド(心)の内側深くに入り、究極的にはマインドを超越する方法が、正しい瞑想法です。

古来より覚者方より様々な瞑想法が、伝えられております。

マインド(心)は、永遠でもなく、真我(本当の私)ではありません。

その正体は思考であり、常に変化して止まず、幻影です。

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