老子の教え「無為自然」の本当の意味とは?&バガヴァンの教え

私は「意識」である―

老子の教え「無為自然」の本当の意味、そしてバガヴァンの教えとの関係


インドから帰ってきてから、速いもので1ヶ月が経ちました。この間に2回ディクシャ・ギヴァー養成コースを開き、合計24名の新ギヴァーが誕生しました。また妻を2月19日にディクシャ・ギヴァーにさせてから毎日のように妻にディクシャをし、また妻から受けています。で、どのような変化が起きたか・・・。

今回インドのコースで、あるマントラを教えられました。それは「I AM THAT(アイ アム ザット)」というマントラです。日本語にすると「私はそれである」。

インドには、他にもこれに似たマントラがあります。「I AM 」つまり「私はある」というマントラです。参考までに、もう一つ有名なマントラがあります。「WHO AM I」「私は誰か」というマントラです。

さて、この「私はそれである」の「それ」とは何を意味しているのでしょうか?

それは「意識」を意味しています。「I AM THAT(アイ アム ザット)」という場合、このTHATは、純粋な意識を意味しています。

つまり、私は純粋な意識である、という意味になります。私とは、肉体でもなく、思考でもなく、感情でもなく、感覚でもなく、純粋な意識だということです。

このことは、悟りを得た人々にとっては真実です。しかし、悟りを得ていない人々にとってもこのことは真実なのです。
これは、悟りを求めている人々には、いづれ体験で実感される時が来るでしょうが、先ず知的に理解される必要があります。

悟っていない場合、意識が肉体や感情、思考、感覚などのマインド(心)と同一化してしまっているために、私は純粋な意識だという認識は難しいかもしれませんが、それが意識の最も深いレベルにおける真実です。

我々は肉体感覚やマインドと同一化しているので、私は肉体である、私は心である、怒っている時には、私は怒りである、或は恐怖で一杯であれば、私は恐怖である、というようにマインドの中味によって意識状態が常に変化しています。

2月27日の夜にバガヴァンとのスカイプ・ダルシャンがありました。

実は、その日の朝、私はシャワーを浴びている時に、はっきりと実感したことがあります。

それは私は何もしていない、ということです。行為が自動的に起こっている、ということです。私はただそれを傍観している、ただ観ているだけなのです。そしてその私とはただの意識なのです。

丁度、その日の午後、ディクシャ会がありましたから、それについて話しました。たしか老子の有名な言葉「無為自然」の意味とあわせて話したと思います。

「無為」とは何もしていない、ということです。悟りを開いた人々は皆そうです。行為を観照しているだけです。自動的に行為が起こります。自動的に話しています。肉体は様々なことを行なうでしょうが、それは完全に自動的で、自分(この場合意識と言った方が正確ですが)は行為に何も関っていない、という感覚になります。

人間に限らず万物の動き働きはそのように自動的に起こっている、それが自然というものなのだということを「無為自然」は説いているわけです。

その夜、どなたかの「私達にとって今最も必要なレクチャーをお願いします。」というリクエストに対してバガヴァンはスカイプ・ダルシャンの中でこのように語っていました。

「次のことについて深く考えてみてください…考えは自動的に生じている。つまり考えているキャロルという人がいるのではなく、考えが自動的に生じているということです。

「話し」にしても話す人がいるのではなく、自動的に起きています。「行動」もあなたがその行動をしているのではなく、常に行動が生じているのです。

ですから、それ自体で自動的に生じています。ですから、皆さんはそれを見る必要があります。「話し」が自動的に生じ、「考え」が自動的に生じ、「行動」が自動的に生じるのを見るのです。それは実際に起きている事実です。」

更にバガヴァンはこのように語っています。

「もしあなたがこの教えについて深く考え、そしてディクシャを与え、受け取るなら、何か変化が生じるのがわかるでしょう。徐々に、マインドと呼ばれる牢獄から出て行くのがわかるでしょう。

マインドの外に出ると、あなたは自分の考えを見ます。「考える」ということが生じますが、あなたが考えているのではありません。「話し」(スピーチ)が生じており、あらゆる行動が生じているのがわかります。

美しく生じており、完全です。あなたがそれらに自己同一化している時のみ、そこに無秩序、不完全性があるのです。ひとたび外に出れば、呼吸、消化活動など全てが自動的に生じています。

そこには正しい行動、間違った行動というものはありません。それは完全な行動であり、それ自体で生じています。

そしてあなたはその外側にいます。それだけです。

その時、あなたが私に質問する純粋な愛を体験しています。マインドの外に出た時、そこにあるのは純粋な愛です。純粋な喜びです。

しかし、マインドの中では決してそれを得ることはありません。

ですから、それら全てのドラマがマインドのなかで行われています。

次に会う時にはあなたがマインドの外に出ていることを願っています。そしてマインドがそこで機能しているのを見てください。」         (高橋恵美さん訳)  ※高橋恵美さんは私の30年来の友人です。

という訳で、その夜のバガヴァンのダルシャンでの話は、ディクシャ会での私の話を補足してあまりある内容でグッドなタイミングでした。

さて、それでは如何にマインドの外にでるか、ということですが、これまでも何度も書いてきたとおりディクシャを受けたり与える、ヨーガ体操をしたり座って呼吸法をしたり瞑想したり等、それ以外に、日常生活においても、すでにマントラ(聖なる言葉、聖なる想念)を使う瞑想をされている方々は、感情、思考を観ることから始めます。

「観る」ことで、観る者つまり意識である観照者と観照されるものである思考、感情、感覚から離れ、マインドの外側にでます。

思考を観続けて行くと、やがて注意が意識の深い層、思考の源に固定され、思考の無い状態がやってきます。

その思考の無い状態になった時には、自然に行為や肉体感覚を十分に観ることができます。

思考があるうちは、観照者は思考から完全に離れてはいません。

マインドの外側には完全には出ていないので、思考に巻き込まれています。

少しでも思考に巻き込まれていると思考の方に注意が行ってしまい、行為や肉体感覚を少ししか観ることはできません。

無思考状態の時には自動的に行為や感覚に気づくようになります。

その無思考状態が24時間続いた時(思考は必要な時のみ働きます。)には、肉体からも意識は完全に自由になり、私は意識である、という境地に至ると思います。

(至ります、と書きたいところですが、まだ完全な悟りには達していないので)

バガヴァンは、初心者の方には、先ず行為や肉体感覚に注意を向けることを薦めています。

日常生活で何気なくしている行為、例えば食べる行為、歯磨きやシャワーで頭を洗っている行為などを意識する。

ブラシが歯に当たる感覚や水が肌に触れる感覚などに注意を向けてください、と。

そして、例えば食べている時に、雑念に捉われていることに気づいた時は、食べる行為や噛んでいる行為、食べ物の味や食感、香り等に気づくことに戻る。

通常雑念に捉われ、無意識で行なっている行為を意識する、気づくようにする。

それが出来るようになれば、思考にも気づくことができるようになる、そうすると感情なども自動的に観ることができるようになり、そして、徐々に気づきを内側に向けて行くことで自動的に気づきが深まってゆく、とこのように仰っています。

それから、この頻繁のディクシャでもう一つ、瞑想が大変深まりました。

上江洲先生の会でとても深い瞑想をすると先生に時々「素晴しい明想をしている、愛の中にいました。」等と言われたりしましたが、最近はその時の明想状態と同様かそれ以上の深い明想状態にすぐになります。

夜の睡眠中も覚醒している感覚が強まっています。ということで、ディクシャ・ギヴァーになって皆さんもどんどんディクシャをギヴ&テイクし、2012年を覚醒して迎えましょう!!
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プロフィール

三休さん

Author:三休さん
のブログへようこそ!

昭和28年東京都江戸川区  小松川の生まれ

都電の西荒川駅前にあ
った生家には、故赤塚不二
夫さんが下宿していました。

上の写真は、昭和30年5月石森章太郎さんが赤塚さんを訪ねてきた時のもの。

赤塚さんは、その2年後有名なトキワ荘に引越しました。

徒歩数分の石毛肉店には、私と一緒に住んでいた従姉と同じ深川高校に通う五月みどりがいて、この翌年に歌手デビュー。

生家の2軒隣にその数年後、横綱柏戸が引越してきました。

私は、その後両親が近所に建てた家に引越したのですが、3軒隣にラグビー日本代表だったターザン橋本(本名橋本晋一)氏が住んでいて息子が私と同級生。

息子H君はその後早稲田ラグビー部の主将。

私が小中学校時代に通ったラグビースクールで一緒にプレーした新日鉄釜石7連覇の立役者Mr.ラグビーと言われた松尾雄治君とその後早明戦で戦ったのには驚きました。

私も高校でラグビー部に入ったのですが、挫折。結局それが遠因で、精神世界に。

そして今に至るのですが、何が幸いするか分かりません。

もし、そのままラグビーを続けていれば、何がしかの世界で成功したかもしれませんが、失敗の人生を歩んでいた可能性があります。

真の意味での成功者とは、永遠不滅の至福の境地である「悟り」に達した人々のことであり、そこに向かって着実に前進している人々のことを言います。

(「悟り」「真の成功者」に関して詳細は、本ブログ記事「ホイットニーの死をバガヴァンの教えから考察する」等をご参照ください。)

まさに「人間万事塞翁が馬」。

趣味は瞑想です。

1977年から瞑想しています。      
基本的に24時間瞑想しています。
もちろん、座って瞑想するのも大好きです。

意識の内側へ入れば入るほ
ど、より覚醒し、より自由に
なってゆきます。

瞑想をとおして、
この世界のあらゆる楽しみ、
快楽をはるかに凌駕する
時間、空間を超えたこの
現象世界の源である
永遠不滅の純粋意識、
そしてその本質である
絶対的な自由と愛と至福を体験します。

多くの方にこの事実を体験を通
して知って頂きたいと思ってい
ます。

覚醒剤もドラッグもいりません! 

ただし、瞑想には、効果的で正しいやり方があります。

正しい角度で飛び込み、正しい泳ぎ方を身につけることで、スムースに海中深くに潜ることが出来ます。

それと同様で、効果的に効率よく、マインド(心)の内側深くに入り、究極的にはマインドを超越する方法が、正しい瞑想法です。

古来より覚者方より様々な瞑想法が、伝えられております。

マインド(心)は、永遠でもなく、真我(本当の私)ではありません。

その正体は思考であり、常に変化して止まず、幻影です。

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