覚者たちが教える地上最強のパワースポット(1)

和尚が教える地上最強のパワースポットとは?
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(カーシー・ヴィシュヴァナス寺院。出典元、
World Travel)

本物の巡礼の聖地には、多くのシッダや仏陀がいて、あなたを悟りに導く

前回の記事「
インドでのバガヴァンの祝福は、やはり強烈だった」の最後に、このように書きました。

私は帰りの飛行機の中で、ワンネス・テンプル同様、凄いパワースポットで、私たちの進化を促す場所は他にないか、ディヴァインに尋ね、その答えが返ってきたと。

この世界の中に、そのような場所がある、という答えが数時間後に返ってきたのです。

その答えを書く前に――


隠された神秘 by 和尚

和尚が「隠された神秘」(市民出版社)という本の「巡礼地の錬金術」と題した章の中で、パワースポットというか巡礼の聖地のもつ意味について、言及しています。
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大変興味深く有益な内容なので、先ずそれについて抜粋して紹介させて頂きます。


巡礼地の錬金術

(以下、転載)

ティールタと呼ばれる巡礼の聖地は、古代文明が作り出した非常に深遠で象徴的で、たぐいまれなる発明だ。

だが私たちの現代文明は、そのような場所の意義に関する知識をすっかり失ってしまった。

今日、巡礼地を訪れることは、ただの形骸化した儀式になっている。

私たちは、なぜ巡礼地が設けられたのか、その役目は何か、誰がつくったのか知らぬまま、ただそれを黙認しているにすぎない。

表面的に見えるものがすべてではない。

外側からは伺い知ることのできない、隠された意味というものがある。

(中略)

ティールタという言葉は、無限の大洋へ飛び込むための一種のジャンプ台を意味する。

ジャイナ教のティールタンカラという言葉は、そのようなティールタ――巡礼地をつくる人という意味だ。

ティールタンカラと呼ばれるのは、そこに入れば普通の人でも心を開き、内なる探究を始められるよう、その場所にエネルギーを充満させた人だけだ。

ジャイナ教徒は彼らを聖なる化身とは呼ばずに、ティールタンカラと呼んだ。

ティールタンカラは聖なる化身よりも偉大な現象だ。

なぜなら、仮に神性が人間の姿に入っていくとしたら、それは素晴らしいことだが、ひとりの人間がほかの人たちのために神性に至る場所をつくることは、遥かに崇高な行為だからだ。

ジャイナ教徒は神を信じず、人の可能性を信じる。

だからジャイナ教徒たちは、ほかのどの宗教の信徒たちよりも深く、ティールタやティールタンカラたちから恩恵を受けられた。

ジャイナ教徒の信仰には「神の恩寵」や「神の慈悲」という概念はない。

ジャイナ教徒は神が助けてくれるとは考えていない。

探究者は独りであり、自らの努力とエネルギーで旅していかなければならないのだ。

しかし、そうなると旅には二つの道がある。

第一の道では、誰もが自分の船で、自分の両手の力でオールを使って旅をしなくてはならない。

大勢の中で成功するのは一人くらいだろう。

しかし第二の道では、帆を張って風の助けを得られる。

すると、より速く容易に旅ができるだろう。

しかし、そんな霊的な風は、本当に存在するのだろうか?

そう、それこそ巡礼地が拠り所とするものだ。

マハヴィーラのような人がいたら、彼の周り全体に未知なる次元へのエネルギーが流れ始める可能性があるのではないか?

彼は特定の次元へと向かうエネルギーの流れを作り出せるのではないか?

その流れの中に入ると、誰もがそれに運ばれて、最終目的地に辿り着くように・・・・・・。

実のところ巡礼の聖地とは、まさにこの流れのある場所だ。

地球上には、そのような巡礼地の物理的な印だけがある。

しかし時がたつにつれ、印は消えてゆく。

だから寺院を建てたり、偉大見者の像を立てたりして、それらは手厚く守られてきた。

過去にその出来事が起こった地点がわずかでもずれないように、数千年にわたってとても大切にされてきたのだ。

(中略)

巡礼地の場所も同じくはっきり示されているが、霊的な出来事が起こった正確な場所は知られていない。

その様な場所は、一般大衆には伏せられている。

驚いたかね?

あなたはマハヴィーラが涅槃(ニルヴァーナ)に達したと言われている場所に行くかもしれない。

しかし正確な地点が、万人に見せる場所より少し離れている可能性は大いにあり得る。

本当の場所は、真摯でそれにふさわしい探究者だけに明かされる。

普通の人々は偽の場所にぬかずき、家に帰るだろう。

本当の場所は、真摯な霊的探究からそこを訪れ、それをジャンプのための助けとして必要とする人々のために隠しておかれる。

そのような場所はたくさんある。

アラビアには、かつてよそ者が入れたためしのないアルクーファと呼ばれる小さな村がある。

私たちは月に行ったが、その小さな村に入ったことのある旅人はまだいない。

実のところ、いまだにその村の場所すら確認できずにいる。

数千年にわたって歴史がその村のことを語っているから、その存在に疑いの余地はない。

歴史は言及しているし、地図もある。

その位置は、ある特別な理由から隠されているのだ。

スーフィーが瞑想の中で深い意識の状態に到達すると、彼はその道の鍵を見出す。

彼はアルクーファの全貌を思い描くことができる。

それ以外は手に入るどの地図も偽りで、人々を誤った方向に導いてしまう。

この三百年の間に、ヨーロッパから数多くの旅行者がアルクーファに行こうと試みた。

彼らの多くは、戻ってくる前に死んだ。

帰ってきた者たちは、村に辿り着かずに当てもなく歩き回っていただけだった。

そこへは特別な瞑想によってのみ、行き着くことができる。

瞑想の最中にアルクーファは姿を現す。

瞑想の中で一瞥した場所を理解すると、スーフィーの瞑想者はそこへ歩いて行った。

アルクーファは秘められた聖地だ。

イスラム教より古い。

有名で、どんな巡礼者でも訪れることのできる巡礼地は本物ではない。

本物は近くにあるが、隠されている。

(中略)

アルクーファというスーフィーの村は、入ることを許されたとしても、気がふれると言われている。

たまたま入ってしまった者は、みな狂って村を出ていくそうだ。

なぜならアルクーファは、普通のマインドには耐えきれないほどの波動でできているからだ。

だから必要な準備と訓練なしでは、その町に入らないほうがいい。

アルクーファについていくつか理解すれば、ほかの巡礼地を理解する助けにもなるだろう。

アルクーファでは眠ることができないと言われている。

だから目覚めたままでいることを徹底的に試みたことのない者は、当然狂ってしまう。

(以上、転載終わり)


本物の巡礼の聖地には、多くのシッダや仏陀がいて、あなたを悟りに導く

地球上にこのように人を狂わせてしまうほどのエネルギーの強い場所があるとは驚きです。

普通、人はエネルギーの強い場所には、長く留まれません。

最初は、静寂や落ち着きを感じても、徐々にマインドの内側に蓄積されたストレスが解放されだして、イライラしてくるからです。

アルクーファでは、イライラして脱出する前に、気が狂ってしまうということでしょう。

これは単に、エネルギーが強いだけでなく、マインドの精妙なレベルに働きかけるエネルギーと思われます。

ですから、準備が出来た人には、逆に悟りをもたらすのではないかと思われます。

巡礼の聖地には、単にパワースポットという健康やご利益目的の物質的利益だけでなく、私たちを解放、涅槃、悟りに導くパワーが秘められているようです。

そこには、普通の人の肉眼には見えないシッダ、ブッダと呼ばれる成就に至った覚者たちの存在が大きいと思われます。

以上に関連して、この和尚の本「隠された神秘」の中に、巡礼の聖地(ティールタ)について、他にも興味深い記述があったので、紹介させて頂きます。

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(写真は、ヴァラナシ、古名カーシー、出典元
インド永住.com

(以下、転載)

永遠なるティールタは、わずかしかない―― カーシーはそのひとつだ。

この地球上で、カーシーやヴァラナシがティールタでなかった時代は決してない。

それは人間のもっとも古い巡礼地だ。

だから意識の遠大なる流れとして、それは偉大なる価値を持っている。

非常に多くの人々がそこで解放され、安らぎと神聖さを体験してきた。

多くの人々の罪がそこで洗い清められてきた―― 脈々と絶えることなく。

(中略)

ヒンドゥー教徒は、シヴァの町カーシーのことを、この地球の一部ではなく別の場所だと言う。

それは独立していて不滅のものだ。

多くの町が築かれ壊されても、カーシーは永遠に残るだろう。

これは驚くべきことだ。

なぜなら、人類は来ては去っていくものだから・・・・・・仏陀はカーシーに行き、ジャイナ教のティールタンカラはカーシーで生まれ、シャンカラチャリアリアもカーシーに行き、カビールはカーシーに住んでいた。

カーシーは、ティールタンカラやアヴァターラや、聖人たちを見てきた。

だが、もはや誰もいない。

カーシー以外は誰も残っていない。

こうしたすべての人々の神聖さ、彼らの霊的な恩恵、彼らの生の流れ、集められた彼らの芳香はカーシーに吸収され、依然として存在している。

これがカーシーを少なくとも形而上学的に、大地から切り離している。

それは、独立している。

それは、独自の永遠なる形を得た、独自の性格を得た。

仏陀はこの町の通りを歩き、カビールはその路地で宗教の講話を行った。

今ではすべて夢物語となっているが、カーシーはすべてを自らの中に吸収し、生き続けている。

もし絶対的な信頼と信仰とともにこの町に入るなら、仏陀がその道を歩くのを再び目にするだろう。

トゥルシダスやカビールに出会うだろう・・・・・・。

カーシーに感応しながら近づくと、それはボンベイやロンドンのようなただのありふれた町ではなくなり、独特な霊的な姿を取り始める。

その意識は古くて永遠だ。

歴史は失われ、文明は興亡し、うつろっていくだろう。

しかしカーシーの内なる生の流れは不断だ。

カーシーで通りを歩き、その川ガンジスの河辺で沐浴し、瞑想のうちに座れば、あなたもその内なる流れの一部になる。

「自分はひとりで何でもできる」と思うのは危険だ。

神聖なる助けは、様々な形で用意されている。

その助けは、寺院や聖地を通して求めることができる。

それらはまさに、助けを与えるために考えられたものだ。

(中略)

どこかにひとりで座って瞑想していると、周りにいるであろう魂の臨在は感じにくい。

しかし、ティールタでは、そのような臨在の体験は非常に強烈なものになり得る。

時にはそれがあまりにも深くなるため、自分自身の存在がほかよりも稀薄に感じられるほどだ。

たとえばカイラス山は、ヒンドゥー教徒と同様、チベット仏教徒にとっても聖地だ。

だが、カイラス山にはまったく人気がない。

家もないし、暮らす人もいない――礼拝者も僧侶もいない。

しかしカイラス山で座って瞑想する人はみな、、そこが住人にあふれていることに気づくだろう。

もしあなたが瞑想に入っていけるなら、カイラス山に着いた瞬間から、そこは多くの魂、しかも素晴らしい魂の宿るところだと言うだろう。

しかしそこに行っても瞑想ができないなら、あなたにとってカイラス山は空しいだろう。

(中略)

カーシー駅で列車を降りると、土と石で造られたカーシーの全貌が見える。

旅人は誰でもそこに行くことができ、そして家に帰っていく。

しかし、霊的な形のカーシーというものが存在する。

そこへは、内側へと向かえる者――瞑想へと深く入っていける者だけが至れる。

彼らにとってカーシーは別格で、この上なく美しく、想像を越えたものだ。

一方、地上のカーシーは、ほかのどの町よりも薄汚れて腐臭の漂う場所だ。

それは目に見えるカーシーにすぎない。

(中略)

つい先ほど、私はカイラス山という名の山に、この世ならぬ生命が宿っていると話した。

これはほぼ確かなことだが、そこには常に約五百の仏教徒のシッダがいる。

光明を得た覚者(ブッダ)である五百の人々が、常にとどまっている。

彼らのひとりが旅に出るために動かなければならないときは、もうひとりの覚者がやって来て交替するまで、彼は出かけようとしない。

カイラス山をティールタにするためにはには、少なくとも五百の光明を得た覚者がそこに居なければならない。

しかしこのことは、頭で容易に理解できるものではない――だから私はその話をしてこなかった。

カーシーには、常にそこにとどまる決まった数の光明を得た者がいる。

入れ替えがあるときにだけ、彼らのうちの誰かが動く。

彼らこそが、本当のティールタだ。

彼らに出会ってはじめて、人は本当にティールタに入ることができる。

(中略)

もうひとつ重要なことは、光明を得た人が肉体を捨てるとき、彼は慈悲にかられて物理的な印を残すことだ――自分とともに歩き、示唆されたことはすべて行い、光明を得るために大変な努力をしたが、まだ成し遂げていない人を助けるために。

必要なときは自分との繋がりが結べるよう、彼らのために何か指針やシンボルを残さなければならない。

この世では、肉体が失われても魂は永遠に失われない。

だから、これらの体なき魂と接触するために、いくつかの鍵が残されなければならない。

これらの鍵と関連して、ティールタはレーダーが現在やっていることと同じ働きをする。

レーダーは、目の届かないところにも届く。

肉眼では見えない星も、レーダーなら探知できる。

ティールタは霊的なレーダーだ。

ティールタを通して、もはや肉体にいない者たちとのコミュニュケーションが成立する。

ティールタは、まだ道の途上にいて、いまだに到達しておらず、まだ迷う可能性のある者たちのために、去っていった者たちが築いたものだ。

あとに残された者は、さらに先へ進むために不可欠なこと、それがなくては迷ってしまうかもしれないことを知るために、時には何かを尋ねる必要があるかもしれない。

彼らは自分の未来を知らず、前に続く道を知らない。

だからそのような探究者たちのために、ティールタ、寺院、マントラ、彫像などが特別に用意された。

それらはすべて儀式だが、依然として通過すべき確固としたプロセスだ。

(以上、転載終わり)


本記事の一番上の写真は、ヴァラナシにある、カーシー・ヴィシュヴァナス寺院ですが、和尚のこの著書「「隠された神秘」によると、本物のヴィシュヴァナス寺院は隠されているとのことです。

(覚者たちが教える地上最強のパワ―スポット(2)へ続く)

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三休さん

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昭和28年東京都江戸川区  小松川の生まれ

都電の西荒川駅前にあ
った生家には、故赤塚不二
夫さんが下宿していました。

上の写真は、昭和30年5月石森章太郎さんが赤塚さんを訪ねてきた時のもの。

赤塚さんは、その2年後有名なトキワ荘に引越しました。

徒歩数分の石毛肉店には、私と一緒に住んでいた従姉と同じ深川高校に通う五月みどりがいて、この翌年に歌手デビュー。

生家の2軒隣にその数年後、横綱柏戸が引越してきました。

私は、その後両親が近所に建てた家に引越したのですが、3軒隣にラグビー日本代表だったターザン橋本(本名橋本晋一)氏が住んでいて息子が私と同級生。

息子H君はその後早稲田ラグビー部の主将。

私が小中学校時代に通ったラグビースクールで一緒にプレーした新日鉄釜石7連覇の立役者Mr.ラグビーと言われた松尾雄治君とその後早明戦で戦ったのには驚きました。

私も高校でラグビー部に入ったのですが、挫折。結局それが遠因で、精神世界に。

そして今に至るのですが、何が幸いするか分かりません。

もし、そのままラグビーを続けていれば、何がしかの世界で成功したかもしれませんが、失敗の人生を歩んでいた可能性があります。

真の意味での成功者とは、永遠不滅の至福の境地である「悟り」に達した人々のことであり、そこに向かって着実に前進している人々のことを言います。

(「悟り」「真の成功者」に関して詳細は、本ブログ記事「ホイットニーの死をバガヴァンの教えから考察する」等をご参照ください。)

まさに「人間万事塞翁が馬」。

趣味は瞑想です。

1977年から瞑想しています。      
基本的に24時間瞑想しています。
もちろん、座って瞑想するのも大好きです。

意識の内側へ入れば入るほ
ど、より覚醒し、より自由に
なってゆきます。

瞑想をとおして、
この世界のあらゆる楽しみ、
快楽をはるかに凌駕する
時間、空間を超えたこの
現象世界の源である
永遠不滅の純粋意識、
そしてその本質である
絶対的な自由と愛と至福を体験します。

多くの方にこの事実を体験を通
して知って頂きたいと思ってい
ます。

覚醒剤もドラッグもいりません! 

ただし、瞑想には、効果的で正しいやり方があります。

正しい角度で飛び込み、正しい泳ぎ方を身につけることで、スムースに海中深くに潜ることが出来ます。

それと同様で、効果的に効率よく、マインド(心)の内側深くに入り、究極的にはマインドを超越する方法が、正しい瞑想法です。

古来より覚者方より様々な瞑想法が、伝えられております。

マインド(心)は、永遠でもなく、真我(本当の私)ではありません。

その正体は思考であり、常に変化して止まず、幻影です。

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