百田尚樹も尊敬する元零戦パイロットが安倍首相を批判!「戦前の指導者に似ている」と

戦場でのかつての敵兵もまた、私たちと同じように父であり、息子なのです

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最近リテラに載った記事で、非常に感銘を受けた記事があります。

98歳になる元大日本帝國海軍エースパイロットだった原田要さんへのインタビュー記事です。

実際に戦争に行って、体験してきた人々の言葉は非常に重いものがあり、訴えてくるものがあります。


百田尚樹も尊敬する元零戦パイロットが安倍首相を批判!「戦前の指導者に似ている」と

http://lite-ra.com/2015/04/post-1050.html

2015.04.24. リテラ

 4月3日、米「ニューヨーク・タイムズ」に、第二次世界大戦時、零戦のパイロットだった男性のインタビューが掲載された。

原田要さん、98歳。元大日本帝國海軍エースパイロットである。

 原田さんは真珠湾攻撃では上空直掩隊として艦隊上空を警戒し、セイロン沖海戦、ミッドウェー海戦に参加。

ガダルカナル島の戦いで撃墜され、重傷を負いながらも帰国し、教官となって終戦を迎えた。

総撃墜数は19機。自らの経験を記録したいくつかの著書を残している。

「Retired Japanese Fighter Pilot Sees an Old Danger on the Horizon(元日本人戦闘機飛行士は差し迫った古い危機をみる)」──そう題された「ニューヨーク・タイムズ」の記事は、長野で行われた原田さんの講演会の描写から始まる。

彼はゆっくりと壇上に上がると、セピアに色あせた写真を掲げたという。それは、革のフライトジャケットを着込んだ、若かりし頃の自分の姿だった。そしてこう語った。

「戦争ほど恐ろしいものはありません」

「私は、あなたたちに私自身の戦争体験を伝えたい。若い世代に、私と同じ恐怖を体験させないために」

講演会のあと、原田さんは「ニューヨーク・タイムズ」のインタビューに応じている。

「私は零戦のコックピットから戦争を見ました。いまだに私が殺した兵士たちの顔はよく覚えています」

「戦場でのかつての敵兵もまた、私たちと同じように父であり、息子なのです。彼らを憎んだり、知りもしないでいることはできません」

「戦争は人間から人間性を奪うのです。全くの他人を殺すか、殺されることを選ばざるをえない状況に置かれることによって」

「私は気がつきました。戦争が、私を人殺しへと変えてしまった。私はそうありたかったわけではないのに」

人を殺したくない、そう思っていても、人を殺してしまっている──戦場の現実を知る当事者の言葉は、重い。

記事には書かれていないが、原田さんの著書『最後の零戦乗り』(宝島社)には神風特攻のエピソードも記されている。

1943年1月、原田さんは霞ヶ浦航空隊に教官として着任し、海軍兵学校出身者3名を受け持つことになった。

そのなかの一人が関行男大尉(2階級特進後、中佐)だった。

初の神風特攻により、レイテ沖海戦で戦死した軍人である。そして、原田さん自身もまた、霞ヶ浦航空隊にいたころ、「参謀肩章を付けたお偉いさん」から特攻の志願を促されたことがあったという。

ガダルカナルでともに死の淵に立った戦友は、「命令されたら仕方がない。

こうなったら俺は志願するよ」と言って、戦死した。原田さんは「俺はいやだ」と志願しなかったと書いている。

〈ミッドウェーでの「巻雲」での経験、ガ島から病院船での出来事、とにかく私は、 「命を大事にしなくては」  と、最後まで、命はむだにしちゃいけないと思っていた。〉(『最後の零戦乗り』より)

 ──このエピソードを聞いて、なにかを思い出さないだろか。海軍のエースパイロット、教官に転身、「命を大事に」。

そう、百田尚樹『永遠の0』の主人公、宮部久蔵である。原田さんと宮部久蔵は、操縦練習生出身という点でも同じだ。

実は、百田と原田さんは少なくとも一度、会って話したことがあるらしい。

『永遠の0』出版後の2010年に、百田はツイッターでそのことをつぶやいていた。

実際、そんな縁もあり、前出の『最後の零戦乗り』の帯に百田が推薦文を寄せている。

原田さんは、百田に会ったときに「(主人公の宮部は)いろいろな零戦搭乗員の話を聞いてから作った、ひとりの偶像です。

このなかには原田さんも入っています」と聞かされたという。

しかし、安倍首相を礼賛し、タカ派発言を連発する百田とは対称的に、原田さんはインタビューのなかで、安倍首相の歴史認識や戦争への考え方に対して、こう「鋭いジャブ」を入れている。

「安倍首相は必死で日本の戦争放棄を取り消そうとしたがっているように見える」、そして、「戦後の長い平和がひとつの達成であったということを忘れているように思えてならない」と。

積極的平和主義の名の下に、日本を再び「戦争ができる国」にしてしまった安倍首相。

その口から常日頃飛び出すのは「有事にそなえて」「中国の脅威は予想以上」という国防論だ。

そこからは、原田さんが語る「全くの他人を殺すか、殺されることを選ばざるをえない状況に置かれる」

「戦争が、私を人殺しへと変えてしまった」という生々しい血の匂いと、背負うことになる罪の重さは、まったく感じられない。

 原田さんはインタビューで、「安倍首相ら最近の政治家は戦後生まれだから、どんな犠牲を払ってでも戦争を避けなければならないということを理解していないのです」と語り、そして、こう続けている。

「その点で彼らは戦前の指導者たちと似ているんです」

戦後、眠れないほどの悪夢に苦しめられたと語る原田さん。

夢のなかで彼が見続けていたのは、自分が撃墜したアメリカの飛行士たちの怯える顔だった。

自身の戦争体験をようやく語れるようになるまでに、何年もの時がかかったという。

記事は、原田さんのこんな言葉で締めくくられている。

「私は死ぬまで、私が見てきたものについて語りたいと思う」

「決して忘れないことが子どもたち、そして子どもたちの子どもたちを戦争の恐怖から守る最良の手段なんです」

安倍首相や百田に、その「恐怖」は想像もできないらしい。

(梶田陽介)

戦争を知らない子供たちばかりになってしまった結果・・・

敗戦後、全ての日本人が悟ったはずです。もう、戦争は懲り懲りだ。二度と戦争はしないぞ、と。

そして、生まれたのが、世界でも類を見ない憲法9条をもつ平和憲法です。

この憲法を歴代政権が遵守してきたお陰で、日本は平和な70年を過ごしてきたといえます。

ところが、戦後70年経ち、戦争経験者たちも少なくなって、戦争を知らない子供たちばかりになってしまいました。

そうした所に出てきたのが、軍国主義的な安倍政権です。

集団的自衛権の行使容認を閣議決定をしたと思ったら、米軍とのガイドラインを改定し、具体的に世界中で米軍と一緒となって戦争をできる体制作りを完成させようとしています。

以前の記事「
再び新聞に載った姻戚の記事からマスコミの戦争責任を考える」にも書きましたが、戦前の人々は、自分が、或いは自分の子供がまさか戦争に行くことになるなどとは、考えていなかったのです。

それまで日清、日露戦争に勝利、日中戦争も有利に戦争を進めての連戦連勝です。

また、それまでの戦争は、日本本土から離れた遠い国である朝鮮半島や中国本土で戦われていました。

日本本土に爆弾が落とされることなど、想像出来なかったのではないかと思います。

東條英樹は、陸軍時代は対英米強硬論だったのが、昭和16年10月 に首相に就任すると、戦争回避を望む天皇の意向もあり、以前に比べ対米開戦に消極的になり逡巡していたのです。

ところが、そうした東條の実家には、「米英撃滅」、「鬼畜米英を倒せ」といった内容の手紙やはがきが日本全国から大量に寄せられ、その数は首相就任から開戦までの50日余りに3000通以上にものぼったとい言います。

戦争反対の記事は売れなかったそうで、マスコミは大衆の意見を代弁しているとも言えるのです。

そして、またマスコミが大衆を煽るという相互作用で、戦争へと突き進んで行ったのではないかと思います。

しかし、昔と違い、遠く離れていても今は簡単にミサイルで都市や原発が破壊される時代です。ボタンひとつで、あっと言う間に、この世が地獄になってしまうのです。


北朝鮮や中国の脅威を煽り、軍国主義路線を歩む安倍政権の危うさ

以前にも増して、貿易は活発になり、どの国も相互依存で、繁栄してきているのであり、自ら戦争を起こすような状況ではなくなってきているのです。

しかし、安倍首相のように北朝鮮や中国の脅威を煽る人々がいます。

米国の軍産複合体と米ネオコンなど戦争を望む人々と現政権自らが緊張を作り出そうとしているように見えます。(実際そうなのですが)

この安倍政権を50%の人々を支持している、と言います。前述の原田さんも語っていましたが、状況が戦前と似てきたと言えるかもしれません。

今、日本は大変な岐路に立たされています。

安倍路線を進めてゆけば、もし、今後第三次世界大戦が起きることがあるならば、再び戦争に巻き込まれてゆく可能性が高いからです。(最近の記事
『「ホビの預言」日本が世界大戦を始め、核攻撃で米国は滅びる』をご参照下さい)

もう一度、前述の原田要さんの言葉を心に深く刻んで味わってみたいと思います。

「私は零戦のコックピットから戦争を見ました。いまだに私が殺した兵士たちの顔はよく覚えています」

「戦場でのかつての敵兵もまた、私たちと同じように父であり、息子なのです。彼らを憎んだり、知りもしないでいることはできません」

「戦争は人間から人間性を奪うのです。全くの他人を殺すか、殺されることを選ばざるをえない状況に置かれることによって」

戦争に行ったアメリカ兵の告発!「本当の敵はアメリカ国内にいた!」 (「戦争は儲かる!」by アメリカ)

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三休さん

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のブログへようこそ!

昭和28年東京都江戸川区  小松川の生まれ

都電の西荒川駅前にあ
った生家には、故赤塚不二
夫さんが下宿していました。

上の写真は、昭和30年5月石森章太郎さんが赤塚さんを訪ねてきた時のもの。

赤塚さんは、その2年後有名なトキワ荘に引越しました。

徒歩数分の石毛肉店には、私と一緒に住んでいた従姉と同じ深川高校に通う五月みどりがいて、この翌年に歌手デビュー。

生家の2軒隣にその数年後、横綱柏戸が引越してきました。

私は、その後両親が近所に建てた家に引越したのですが、3軒隣にラグビー日本代表だったターザン橋本(本名橋本晋一)氏が住んでいて息子が私と同級生。

息子H君はその後早稲田ラグビー部の主将。

私が小中学校時代に通ったラグビースクールで一緒にプレーした新日鉄釜石7連覇の立役者Mr.ラグビーと言われた松尾雄治君とその後早明戦で戦ったのには驚きました。

私も高校でラグビー部に入ったのですが、挫折。結局それが遠因で、精神世界に。

そして今に至るのですが、何が幸いするか分かりません。

もし、そのままラグビーを続けていれば、何がしかの世界で成功したかもしれませんが、失敗の人生を歩んでいた可能性があります。

真の意味での成功者とは、永遠不滅の至福の境地である「悟り」に達した人々のことであり、そこに向かって着実に前進している人々のことを言います。

(「悟り」「真の成功者」に関して詳細は、本ブログ記事「ホイットニーの死をバガヴァンの教えから考察する」等をご参照ください。)

まさに「人間万事塞翁が馬」。

趣味は瞑想です。

1977年から瞑想しています。      
基本的に24時間瞑想しています。
もちろん、座って瞑想するのも大好きです。

意識の内側へ入れば入るほ
ど、より覚醒し、より自由に
なってゆきます。

瞑想をとおして、
この世界のあらゆる楽しみ、
快楽をはるかに凌駕する
時間、空間を超えたこの
現象世界の源である
永遠不滅の純粋意識、
そしてその本質である
絶対的な自由と愛と至福を体験します。

多くの方にこの事実を体験を通
して知って頂きたいと思ってい
ます。

覚醒剤もドラッグもいりません! 

ただし、瞑想には、効果的で正しいやり方があります。

正しい角度で飛び込み、正しい泳ぎ方を身につけることで、スムースに海中深くに潜ることが出来ます。

それと同様で、効果的に効率よく、マインド(心)の内側深くに入り、究極的にはマインドを超越する方法が、正しい瞑想法です。

古来より覚者方より様々な瞑想法が、伝えられております。

マインド(心)は、永遠でもなく、真我(本当の私)ではありません。

その正体は思考であり、常に変化して止まず、幻影です。

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