誰も知らないオウム事件の真実(3)

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(写真は、2015年現在のオウム・サティアン跡地、『拠点、上九一色村…「サティアン写真」で見えた素顔』テレ朝ニュースより)

ある人物が悟りを開いているかどうか分かるポイントとは

今年は、オウム真理教が起こしたサリン事件から20周年ということで、マスコミではこのところオウム事件を回顧する記事が目立ちます。

以前、私は当ブログでオウムの教祖麻原(以降、A)に関する記事「誰も知らないオウム事件の真実(1)(2)」を書きました。

そして「誰も知らないオウム事件の真実(2)」の最後の方で、

「意識が高くならなければ、その人物が悟りを開いているかどうか分からない、と前述しましたが、客観的に誰にでも分かるポイントがいくつかあります。

Aが様々な事件を起こす前からその辺のポイントが多くの人々に知られていたならば、彼に付き従う人々の数は少なかったのではないかと思います。次回はその客観的ポイントなど書きたいと思っています。」

と、このように書いてから、2年半の歳月が過ぎてしまいました。

丁度、今オウムが話題になっているということもあり、前回記事の続きを書きたいと思います。


オーラでは、霊性の高低は分からない

先ず「意識が高くならなければ、その人物が悟りを開いているかどうか分からない」、この部分少し補足する必要があります。

時々、オーラが見えるという人々に出会います。このような人々は、そのオーラを見て、人の意識レベルを判断しているようです。

しかし、このオーラでは、人の意識レベルは分かりません。

というのも以前の記事「悟りを速めるクンダリーニと性の秘密」にも少し書きましたが、オーラはたいてい肉体より少し精妙なボディ(エーテル体或いはアストラル体)のエネルギーが表現されたものだからです。

例えば、気功をやっている人々やクンダリーニが上がっている人々は、通常このエーテル体、アストラル体が活性化しているので、このオーラが人一倍強く輝いているかと思います。

この肉体より少し精妙なボディが、活性化しているからと言って意識(純粋意識)が、覚醒しているとは限りません。

それは肉体の活性化イコール意識の活性化ではないのと同じです。もちろん、意識は肉体の影響をある程度受けるので全く関係ないわけではありませんが。

以前、私が上江洲義秀先生の講話・瞑想会を主催している時に、わざわざ東北地方から上江洲先生ではなく、私を訪ねにきた方がいらっしゃいました。その方が仰るには、写真で見て私のオーラが凄かったからだ、と。

それで、私が「私なんかたいしたことないですよ。上江洲先生の方が全然上です」と言ったところ、その方は否定した感じで、上江洲先生にはさほど興味をもっているように思えませんでした。

実は、他にもオーラが見えるという方がいて、やはり私のオーラを褒めて頂いたのはいいのですが、上江洲先生は全然たいしたことないですよ等と言って、上江洲先生には関心がないどころか否定する様な感じでした。

もう一つ、今から、5年前位にバガヴァンの下インドワンネス・ユニヴァーシティでディクシャ・ギヴァーを養成する為のトレーナー・コースが開催されました。海外など数百人が参加していました。

やはりその時に、あるオーラが見えるという方から、私のオーラがダントツに凄い、と言われました。

そのコースには、後にワンネス・メディテーター(目によるディクシャが出来る人々のこと)となる人々も数名参加されていましたが、これも上記の方々同様、人間存在のある一部分を見ているだけで、オーラでは決して人の意識レベルは判断できないのです。


物理次元に近い方に意識を置いていなければ、オーラは見えない

ですから、オーラが見える方々について言えば、前述の上江洲先生の例の時のように、覚者と接することで得られる意識の覚醒という、人生最高の賜物を逃してしまうということもありますし、オーラが見えることで、自分が特別な存在になったように勘違いして、エゴを増長するかもしれません。

ということで、マイナスの面が強くなることもありますので、気をつけなければいけません。

上江洲先生について言えば、肉体やエーテル体、アストラル体など、物理次元に近い方には意識をあまり置いていないので、オーラが見えなかったのだと思います。

大元は、超精妙な愛の波動である純粋な意識エネルギーなのですが、どの次元に意識を向けるかによって、流れ出るエネルギーの質というか波動が違うのです。

ほとんどの人々が、この外界である物質世界のみに注意を向けていますが、そのような人々から出てくるエネルギーはほとんど粗雑なものなのです。

それが、瞑想などで注意が内側に向かってゆくと、より精妙なエネルギーに変わってゆくのです。

元々あった本来の超精妙なエネルギーに近づいてゆきます。

例えば、以前の記事「宝くじ1等当選者の8割が借金漬けの理由(2)」に書いたニーム・カロリ・ババや「9.11、3.11、イスラム国詐欺、次は5.11? (1) 」に書いたキリスト、マンスールなどの覚者らは、意識を肉体から自在に切り離したり出来ます。

肉体から意識が完全に切り離されていれば、マンスールのように、肉体にどのような仕打ちを受けても痛くも痒くもないのです。

そのような時、おそらくオーラは、見えないでしょう。肉体は抜け殻の様になっているからです。

ですから、オーラが見えないから、或いはオーラが少ないからと言って、意識レベルが低いとか、そういうことは言えないのです。

上江洲先生がこの肉体次元に留まっているのは、周囲の皆さんが引き止めるからで、その為にほんの僅かだけ意識をこの世界においている、そして今この瞬間にでも肉体を脱ぎ捨て別の次元に行くことが可能とのご発言を聞いたことがあります。

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(写真は、上江洲義秀先生、左クリックで拡大)


覚者たちのエネルギー波動は超精妙でも、覚者と誰にも分かるようになるポイントとは

また、波動に関してもオーラと同様、以前の記事「悟りを速めるクンダリーニと性の秘密」に書いたように、瞑想などしたことのない普通の人々でも感じられる強い波動だからといって、意識が高いということではありません。

むしろ、悟りを開いた覚者や高い意識状態にある人々のエネルギー波動は、非常に精妙なので、ほとんどの人が感じられないはずです。

しかし、普通の人々でも、そういった人々と共にいると、悩みが消えたり、心が安らいでリラックスするという現象が起きてきますから、この人は、覚者です、と言われればおそらく納得するでしょう。

覚者らは、それほど、深い愛であり、平安の波動を周囲に放っています。

ですから、ある人が覚者かどうか、しばらく一緒にいれば分かるのです。

ということで、今回のテーマ、ある人物が覚者かどうか、客観的に誰にでも分かるポイントが先ずこれです。

オウムのAに関してですが、Aの側近だった弟子たちを取材して書かれたものを読んだことがあるのですが、それによるとAは、常にイライラして頻繁に怒りを顕にしていたそうです。

それで、周りの弟子たちは、いつもピリピリしていて、Aの前では常に緊張を強いられていた、とのことです。

これを読んだだけでも、Aが悟りを開いていないことが分かります。

前述のとおり、覚者のそばにいれば、リラックスするのが普通で、緊張するということは、あり得ないのです。

まれに、極度の緊張し易い人が、覚者に遭う、ということで最初緊張するということがあるかもしれませんが、それでも程なく緊張が解けて、リラックスするものです。

ましてや、側近であれば、常に緊張を強いられる等ということは、絶対にあり得ません。

次に、Aはよくイライラしたり頻繁に怒っていた、ということですが、基本的に悟りを開いた人々は、究極の満足の状態にいますから、欲求不満でイライラすることなどありません。


覚者が怒りを表現しても、出てくるのは愛のエネルギー

また稀に弟子たちを叱咤する為に、怒ったアクションをすることがあっても、決して怒りの波動は出していないのです。

むしろ、通常より、強い愛というか慈悲のエネルギーを出しているはずです。

ですから、覚者に怒られても、全くストレスにはならないどころか、逆により覚醒し、至福に満たされるかもしれません。

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(写真は、ニサルガダッタ・マハラジ、「アイ・アム・ザット 私はある」ナチュラル・スピリット刊より)

確か、ニサルガダッタ・マハラジの弟子が書いていたと思うのですが、ある時、ある弟子がマハラジに怒られたそうです。(怒られた理由は忘れました)

怒られた次の瞬間、マハラジと弟子は大笑いした、というのです。まさに、真実の師(サット・グル)が弟子に怒った時には、こういったことが起きるのです。

(ニサルガダッタ・マハラジについては、以前の記事「悟りへのプロセス byニサルガダッタ・マハラジ他」をご参照下さい)

ですから、仮に頻繁に覚者が、怒りを表現することがあったとしても、周りの人間がピリピリ緊張している等ということはあり得ないのです。

怒っているように見えても、覚者からは、愛のエネルギーしか出て来ないからです。


Aが、拘置所内で精神に異常をきたした理由

3月20日の東京新聞に、映画監督の森達也氏が、オウム事件について興味深いことを書いていました。

ある元法相が、役人からAの死刑執行の決済書類にサインを求められ、そこで元法相は判断する前に、Aの精神状態を確認しようと内密に見に行ったそうです。

その後「どんな様子でしたか」と尋ねても、「筆舌に尽くしがたい」と言うだけだで、これ以上は言えないとも語っていたそうです。

それで森達也氏はAに精神障害があることをあらためて確信した、と書いています。

獄中のAに関しては、以前から精神異常状態が伝えられていました。

ネット上の記事「獄中の麻原彰晃に接見して/会ってすぐ詐病ではないと判りました/拘禁反応によって昏迷状態に陥っている」(来栖宥子★午後のアダージォ)に、獄中のAと接見した文筆家、精神科医として有名な加賀乙彦氏の本からの文章が載っていましたが、Aが精神に異常をきたしているいることが分かります。

加賀氏は、記事タイトルのとおり、これは間違いなく拘禁反応によって昏迷状態に陥っている、としています。

この拘禁反応について、以下、上記記事から転載させて頂きます。

(以下、転載開始)

拘禁反応というのは、刑務所など強制的に自由を阻害された環境下で見られる反応で、ノイローゼの一種。

プライバシーなどというものがいっさい認められず、狭い独房に閉じ込められている囚人たち、とくに死刑になるのではという不安を抱えた重罪犯は、そのストレスからしばしば心身に異常をきたします。

 (中略)

昏迷というのは、昏睡の前段階にある状態。

昏睡や擬死反射と違って起きて動きはするけれど、注射をしたとしても反応はありません。昏迷状態におちいったある死刑囚は、話すどころか食べることすらしませんでした。

そこで鼻から胃にチューブを通して高カロリー剤を(p150~)入れる鼻腔栄養を行ったところ、しばらくすると口からピューッと全部吐いてしまった。まるで噴水のように、吐いたものが天井に達するほどの勢いで、です。

入れるたびに吐くので、しかたなく注射に切り替えましたが、注射だとどうしても栄養不足になる。結局、衰弱がひどくなったため、一時、執行停止処分とし、精神病院に入院させました。
 
このように、昏迷状態におちいっても周囲に対して不愉快なことをしてしまう例が、しばしば見られます。ただ、それは無意識の行為であり、病気のふりをしている詐病ではありません。

松本被告人も詐病ではない、と自信を持って断言します。

(中略)

松本被告人に関しては、会ってすぐ詐病ではないとわかりました。拘禁反応におちいった囚人を、私はこれまで76人見てきましたが、そのうち4例が松本被告人とそっくりの症状を呈していた。

サリン事件の前に彼が書いた文章や発言などから推理するに、松本被告人は、自分が空想したことが事実であると思いこんで区別がつかなくなる空想虚言タイプだと思います。
p151~

最初は嘘で、口から出まかせを言うんだけれど、何度も同じことを話しているうちに、それを自分でも真実だと完全に信じてしまう。そういう偏りのある性格の人ほど拘禁反応を起こしやすいんです。

まして松本被告人の場合、隔離された独房であるだけでなく、両隣の房にも誰も入っていない。また、私が勤めていたころと違って、改築された東京拘置所では窓から外を見ることができません。

運動の時間に外に出られたとしても、空が見えないようになっている。そんな極度に密閉された空間に孤独のまま放置されているわけですから、拘禁反応が表れるのも当然ともいえます。

接見中、松本被告人とはいっさいコミュニケーションをとれませんでしたが、それは彼が病気のふりをしていたからではありません。私と話したくなかったからでもない。人とコミュニケーションを取れるような状態にないからなのです。

(以上、転載終わり)


悟りを開いた人々には、どのようなカルマも影響を及ぼさない

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(写真は、バグァン・シュリ・ラジニーシ「一休道歌 下」めるくまーる社より)

以前、「人と接することのない独房に3日間以上入れられていると、通常、人は精神に異常をきたす」と和尚が語っている文章を読んだことがありますが、まさにAにそれが起こったと考えられます。

Aが悟りを開いた人間であれば、どのようなストレス的状況であっても、全く影響を受けません。かつて、マンスールやキリストがそうであったように。

「悟り」とは、意識が生と死を超越した次元、絶対状態である存在、或いは純粋な意識である真我に確立されることです。

その状態にあっては、相対界というか外界の影響を全く受けないのです。

外側の世界の影響を受けていれば、それは悟りを開いていないということです。

悟りを開いても、カルマは存在します。

マンスルールやキリストのように、覚者でも残虐な死刑を執行されるかもしれませんし、ガンなどの病気で亡くなるかもしれません。

弟子が裏切るかもしれませんし、人々から中傷や非難を浴びるかもしれません。また毒を盛られるかもしれません。

しかし、悟りを開いた人々には、どのようなカルマも影響を及ぼさないのです。

彼らは、どのような境遇の中にあっても、絶対の至福の中で充足しているのです。


Aは、メンタル体(サイキック体)が活性化していたが・・・

私は、Aは、メンタル体(サイキック体とも言われます)が、活性化していたのではないかと思っています。

メンタル体は、肉体、エーテル体、アストラル体に続く4番目の体です。シュリ・バガヴァンによると、マノーマヤ・コーシャ、マインド体とも言います。

5番目がスピリチャル体で、ヴィグニャーナマヤ・コーシャ、英知体とも呼ばれ、アートマン(真我)の領域となります。つまり、思考を超えた領域です。

4番目は、思考の領域で、イメージなどはここでの出来事となります。おそらく彼はこの領域が活性化していた為に、そこそこサイキックな能力が備わっていたのではないかと思います。

しかし、このイメージとか思考、マインドと呼ばれるものは、秩序だっているうちはいいのですが、混乱しだすと手がつけられなくなるのです。妄想やネガティブ思考、恐怖や狂気を生み出すからです。

多くの精神異常者は、マインド、思考が生み出したものです。

特に、クンダリーニが上がった状態で、マインドがパニックのような混乱を起こすと、恐怖から正気を失うということは十分にあることなのです。

Aの精神異常は、刑務所内で、何者かが向精神薬など薬物を摂らせたせいだ、という説もありますが、薬物でも同じです。

薬理作用によって、マインドが混乱させられ、精神に異常をきたすのです。

昔、インドなどで、ヒッピーのような人々が、LSDのような強力なドラッグで精神異常になる例がたくさんあったと聞きます。

このようなドラッグを摂取すると、薬理作用により、精神に混乱が生じ、幻覚を見たり、ネガティブ思考に陥り、耐え難い恐怖から自殺してしまう人々も結構いたということを聞いたことがあります。

特に、LSDは、その作用が強烈と言われています。

ところが、以前の記事「宝くじ1等当選者の8割が借金漬けの理由(2)」に書いたニーム・カロリ・ババのような覚者は、LSDを大量に服用しても何の影響を受けないのです。

仮に、Aに何らかの薬が盛られたとしても、真の覚者であれば、精神に異常をきたすなどということは絶対にないのです。

何故なら、覚者には、そもそも異常をきたすようなマインド、思考というものはなく、思考を超えたところの不滅の楽園の住人だからなのです。

絶え間ない思考の中に生きている人間のみが、パニックに陥り、苦しみにのた打ち回るのです。

ヨーガや瞑想、様々なサダナを通してある程度意識が高まったとしても、悟りに至らない限り、今生、或いは来生で誰しもオウムの人々のように苦境に陥れられることはあるのです。

ですから、今生でサット・グルを見出すことは、大変重要です。

そしてどのような修行をしようとも、先ずは思考を見れるようになることが重要です。それによって、思考から自由になれるのです。

その段階が進み、感情や思考のより精妙なレベルを知覚できるようになり、最終的に思考を超越した状態、24時間思考が完全に消滅した状態が訪れます。これが悟りです。(もちろん、生活に必要な最低限の思考は、働かせます)


真実のグルといるときの感覚

最後に、その著書「アイ・アム・ザット 私はある」を通して、世界中にニサルガダッタ・マハラジを紹介したモーリス・フリードマンが、この著書の最後部の付録Ⅰ ニサルガ・ヨーガで、覚者といるとどのような感覚になるのか、非常に美しい文章なので紹介させて頂きます。

(以下、転載開始)

シュリ・ニサルガダッタ・マハラジのつつましい住まいにいると、電灯や通りの騒音がなければ、人は人類の歴史上どの時代にいるのか知るよしもない。

彼の小さな部屋には、時を超えた独特の雰囲気がある。

討論されているテーマも、あらゆる時代にとって妥当でありながら、時を超えた永遠のものだ。

そのテーマが説明され、調べられる方法もまた時を超えている。

幾世紀、幾千年、幾つものユガが過ぎていくなかで、人はかぎりなく太古の昔、そして永遠の今における問題に向き合う。

行われた討論や与えられた教えは、一万年前でも同じであったろうし、一万年後でも同じだろう。

そこではつねに意識をもった存在たちが、意識して在るという事実に不思議の念をもち、その原因と目的について探求していることだろう。

「私はどこからきたのか?」「私は誰なのか?」「私はどこへ行くのだろうか?」と。

そのような質問には、はじまりも終わりもない。そしてその答えをしることはきわめて重大なことだ。

何故なら、自己についての完全な理解がなければ、人生は私たちの知らない力によって押しつけられたひとつの夢にすぎず、私たちにはその目的を理解することもできないからだ。

(以上、転載終わり)

マハラジ、アイ・アム・オンリー・ザ・セルフ



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プロフィール

三休さん

Author:三休さん
のブログへようこそ!

昭和28年東京都江戸川区  小松川の生まれ

都電の西荒川駅前にあ
った生家には、故赤塚不二
夫さんが下宿していました。

上の写真は、昭和30年5月石森章太郎さんが赤塚さんを訪ねてきた時のもの。

赤塚さんは、その2年後有名なトキワ荘に引越しました。

徒歩数分の石毛肉店には、私と一緒に住んでいた従姉と同じ深川高校に通う五月みどりがいて、この翌年に歌手デビュー。

生家の2軒隣にその数年後、横綱柏戸が引越してきました。

私は、その後両親が近所に建てた家に引越したのですが、3軒隣にラグビー日本代表だったターザン橋本(本名橋本晋一)氏が住んでいて息子が私と同級生。

息子H君はその後早稲田ラグビー部の主将。

私が小中学校時代に通ったラグビースクールで一緒にプレーした新日鉄釜石7連覇の立役者Mr.ラグビーと言われた松尾雄治君とその後早明戦で戦ったのには驚きました。

私も高校でラグビー部に入ったのですが、挫折。結局それが遠因で、精神世界に。

そして今に至るのですが、何が幸いするか分かりません。

もし、そのままラグビーを続けていれば、何がしかの世界で成功したかもしれませんが、失敗の人生を歩んでいた可能性があります。

真の意味での成功者とは、永遠不滅の至福の境地である「悟り」に達した人々のことであり、そこに向かって着実に前進している人々のことを言います。

(「悟り」「真の成功者」に関して詳細は、本ブログ記事「ホイットニーの死をバガヴァンの教えから考察する」等をご参照ください。)

まさに「人間万事塞翁が馬」。

趣味は瞑想です。

1977年から瞑想しています。      
基本的に24時間瞑想しています。
もちろん、座って瞑想するのも大好きです。

意識の内側へ入れば入るほ
ど、より覚醒し、より自由に
なってゆきます。

瞑想をとおして、
この世界のあらゆる楽しみ、
快楽をはるかに凌駕する
時間、空間を超えたこの
現象世界の源である
永遠不滅の純粋意識、
そしてその本質である
絶対的な自由と愛と至福を体験します。

多くの方にこの事実を体験を通
して知って頂きたいと思ってい
ます。

覚醒剤もドラッグもいりません! 

ただし、瞑想には、効果的で正しいやり方があります。

正しい角度で飛び込み、正しい泳ぎ方を身につけることで、スムースに海中深くに潜ることが出来ます。

それと同様で、効果的に効率よく、マインド(心)の内側深くに入り、究極的にはマインドを超越する方法が、正しい瞑想法です。

古来より覚者方より様々な瞑想法が、伝えられております。

マインド(心)は、永遠でもなく、真我(本当の私)ではありません。

その正体は思考であり、常に変化して止まず、幻影です。

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