マハリシが説く「カルマの法則」とは?

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マハリシが説く「カルマの法則」とは?

「カルマ」という言葉は、今や一般の人々にも知られてきていますが、その法則までは、精神世界系の人々ほどは、知られていないと思います。

そこで今回はこの「カルマの法則」について。

最後の方でマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの「カルマの法則」について解説した文章を「超越瞑想入門」(読売新聞社刊)より紹介させて頂きます。

私は、以前の記事「幸せなお産が世界を変える&バガヴァンの教え(2)」で、「カルマの法則」について、このように書きました。

「物理学では、作用と反作用として知られている法則と同様の法則が、人間の行為に対しても働いているという厳然たる事実を現代科学では知りようがありません。

自分のした行為の結果が、何日後、或いは何十年、何百年も経ってから返って来るなどということは、今の科学では解明しようがないからです。」

この「カルマの法則」の考えに触れたのは、数回前の記事でその出会いについて書いたマハリシ・マヘーシュ・ヨーギー著「超越瞑想入門」の中のカルマの法則に関する記述が最初でした。

マハリシは、インドで名門と言われるアラハバード大学で、物理学を学んでいたためか、前回取り上げた「存在」や「カルマの法則」について、この「超越瞑想入門」で極めて分かり易く、科学的な表現を使用して説明しています。

「超越瞑想入門」は、原題「The Science of Being and Art of Living」(存在の科学と生活の技術)として、1963年に欧米で出版されたものを翻訳したものです。

欧米では、この「存在」や「カルマの法則」などに関する科学的な記述が受け入れられ、学生やノーベル物理学賞受賞者(ブライアン・ジョセフソン)ら多くの科学者が超越瞑想(TM)を実践し始めました。

科学者が多数瞑想を始めたお陰で、瞑想の効果が科学的に立証され、更に多くの人々(世界中で450万人位と言われています)にTM瞑想が受け入れられていったという経緯があります。


カルマの反作用は何倍、何十倍にもなって本人や子孫に帰ってくる

マハリシは、この本の中の「カルマと存在の技術」の最初の箇所でこのように書いています。

「カルマの哲学とは作用と反作用についての単純な哲学で播(ま)いたものは刈り取らねばならぬということです。 エネルギー保存の法則は、カルマ理論を支持します。 」

マハリシは、「超越瞑想入門」の別の箇所で、「仮に誰かを傷つけたとしたら、その害は、数かぎりない層の宇宙から自分のところに反射されてきますし、この反作用は無窮と言ってよいほどの長時間続くのです。」とこのように書いています。

私は「幸せなお産が世界を変える&バガヴァンの教え(2)」の中で、「自分の行為の応報は、等倍ではなく、何倍にもなって帰ってくると言われています。」と書きました。

ある行為によって作り出されたエネルギーが、エネルギー保存の法則により、形を変え存続して行くわけです。

例えば一つの悪業を為したとしたら、それによる他者への連鎖的な悪影響というのがあるわけです。

それが、他者の悪業を生み出し、次々と悪循環を生み出すということが実際あります。そのような意味で何倍にもなって帰ってくるわけです。

例えば、会社で良かれと思ってやった行為に対して、いつもイライラした社長に怒られたとします。怒られた部下は、その社長の怒りをとても理不尽に感じましたが、社長から受けた怒りのエネルギーを社長に返すわけには行きません。

その怒りを抱えた部下は家に帰り、今度は奥さんのちょっとした言動に対して、怒りをぶつけるということは、よくあることです。

怒られた奥さんは、その怒りを夫に返し、怒鳴りあいの喧嘩になるかもしれません。その喧嘩で、怒りが解消すれば良いですが、瞑想でもしていなければそう簡単には解消しません。

奥さんは、むしゃくしゃしたその怒りを今度は、子供や他の人に向けます。それが子供であれば、その子供の抱えた怒りは、今度は学校で他の子供にぶつけられるかもしれません。

そのような形で、怒りというカルマの連鎖が続き、社会に拡大して行くのです。

それが、今のこのストレス社会を作っている原因と言えます。(そういう意味でも瞑想が大変重要です)

ある覚者は、同じ行為でも、一般人が行うのと、政治家が行うのでは影響力が違うので、政治家が悪業を為すと、一般人以上に帰ってくる報いが大きく、7代祟るとまで言っています。

また一つの悪業によって何回、何千回と輪廻転生を繰り返えさざるを得ないということがあるのはないかと思います。

そうすると、その間に更に他の悪業を積み重ねる可能性がある訳で、そのように考えるとある一つの行為が何倍、何十倍にもなって帰ってくるのです。


善業(サットカルマ)が進化を促す

ところで、瞑想の目的は何かと言うと、人間の心の源であり、万物の源である純粋な意識、或いは「存在」と呼ばれる領域との合一です。

ヨーガ等では、サマーディ(三昧)と呼ばれる体験を目的にしています。

究極的にはこのサマーディが、24時間続いている状態、これを悟りと呼んでいますが、あらゆる精神修養の目的はここに集約されると言っても過言ではありません。

これが、人間進化の目的でもあり、あらゆる存在が、この悟り、或いは神と呼ばれる存在との合一に向かって進化していると言われています。

ところが、人間として生まれてもこの悟りに到達する為に、何千回、何万回の輪廻転生を経なければならない、と言われています。何故でしょうか?

これは、カルマの為です。

サットカルマ(善業)が進化を促す力になると言われています。

このサットカルマが、ある程度ないと瞑想や精神世界に関心を抱くという動機がまず生まれません。

また瞑想で深い領域に入ってゆけるのもサットカルマの影響、お陰と言われています。

ですから、ヨーガでは、瞑想や呼吸法、ヨーガ体操以前に、サットカルマを積むことを奨めるのです。

その反対に、悪業が進化の足を引っ張ります。

悪業が積み重なると、唯物的なものの考えに支配されたり、世の為人の為になる行為を自然に行うことが難しくなります。

そうすると、中々進化して行けないのです。何回も輪廻転生を繰り返します。

その間に、多くの学びをし、サットカルマがある程度積み重なった時に、その人は真に悟りを求めだします。そして、神の恩寵で、グル(霊的指導者)や瞑想に出会う、と。

そして、一気に進化が加速します。今生では、成就できなくても悟りは時間の問題となります。

※カルマは、目に見える行動のレベルだけでなく、思考や感情のレベルにも存在し、環境に影響を与えています。

更にマインドの深いレベルでは「ヴァサナ」と呼ばれる行動や思考、感情の種が存在しています。

これについては、以前の記事「何万回の輪廻をもたらす人生の束縛者、ヴァサナとは?」をご参照ください。

ということで、マハリシが説くカルマの法則を、「超越瞑想入門」(読売新聞社)から抜粋・転載させて頂きます。


(以下、転載開始)
カルマと存在の技術 by マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー

カルマの哲学*とは作用と反作用についての単純な哲学で播(ま)いたものは刈り取らねばならぬということです。

エネルギー保存の法則は、カルマ理論を支持します。

どんな行為でも、それを行った人とその環境に対して、なにかの結果、あるいは反作用を生み出すのです。

* カルマは文脈によって違った意味をもつことばである。たとえば、行動の力、行動の結果、行動の経験が残す印象などの意味に使われる。西洋における一般的な受け取り方では、カルマいうと、とかく悪い行為とその結果が連想される。しかし、カルマという言葉自体には善意の区別がなく、それはただ行動に関するもので、よいカルマとはよい行動であり、悪いカルマとは悪い行動であって、カルマだけで単に行動をさすにとどまる。
 
なにかを考えるとき、思考過程とは考える行動の実践にほかなりません。

同じように、話すことも、行動も経験も、みな異なったレベルにおける活動です。
 
池に石を投げ込むと、その石は沈みますが、水面には波紋を立てます。

この波紋は池の岸に着くまでひろがってゆき、浜辺の砂粒に突きあたってこれに影響を与えますので、砂粒を押しやったり、池のなかに引きずりこんだりします。

池の上にも岸辺にも、影響はいたるところに及びますが、人間の行動がその人と環境に及ぼす影響もこれと同じです。          

一つ一つの想(おも)い、ことば、行為を通じて、人は周囲の大気中に影響の波を出します。

この影響の質は、行なった行為の質によって決まり、周囲にひろがる反作用の程度は初めの行為の強さによるのです。

このように、人生のいついかなる瞬間をとってみても、人間はその呼吸、思考、会話、行動などの行為によって、大気中になにかの影響を発出していることがわかります。
 
ある行為の影響がどこまでひろがるかということもわかります。

池の例でいう一つの波の影響は、その波がどんなに小さいものでも、池全体にひろがります。

同じように、ある行為によって生じた波動は、遠近の差なく周囲のあらゆるものにつきあたるのです。

地球上だけでなく、月、太陽、その他の星の上のあらゆるものにぶつかって、全宇宙に波及し、いきあたるすべてのものに影響を与えます。

そして、この影響は元の行為の質と力によって左右されるのです。
 
このような波動が宇宙の万物にぶつかることによって生じる反作用は、ちょうど壁にあたったゴムまりが投げた人にもどってくるように、その行為した人に帰ってきます。

いうまでもなく、近いところからもどってくる反作用のほうが、遠方からのものよりも、すみやかに行為者にとどきます。
 
たとえば、あることばを話すとします。このことばから出る波動はひろがって、一本の木にぶつかり、その木に影響を与えてから、話した人に帰ってきます。

もっと先にいけば、山にあたって帰ってくるでしょうが、その場合は往復に多くの時間がかかります。

月にあたって戻るときは、さらに時間を要します。太陽との往復はさらに長くなります。

何百万光年という遠い距離にある星にある行為がとどいて、また元の人に帰ってくるのは、何百万年もかかるでしょう。
 
ある行為がその影響を宇宙中に拡散してから、最後にまたその行為者に帰ってくるのは、このような経過によるのです。 

ここで予想される疑問は、ある行為の結果が、何万年も何百万年もあとで、その行為をした人にもどってくるなどということが、実際に可能か、という問題です。
 
ある人が遠くに住んでいる父親に手紙を出したとします。手紙が宛名の場所についたとき、その父親が別の町に引っこしていたとすれば、結局そこまで転送されてとどくでしょう。

必要なら何回でも転送の手続きがくり返されて、手紙は宛名の人にとどくのです。

千年後にもどってくることになっているある行為の結果は、行為者の魂が宇宙のどこにいようとも、まちがいなくその人のところに戻ってくるのであります。
 
転生と死後の生命存続に関する哲学を理解しない人には、このカルマ哲学は受けとりにくいでしょう。

自分の行為の結果を何百万年にわたって受けとり続けるということが、どうして可能なのでしょうか?
 
魂が解放されて、宇宙実存に帰一してしまわないかぎり、個々の魂はどこかの世界でなんらかの肉体を身にまとって、その個性を保存するからです。

個人はどこまでも個人として存在し続け、過去からのカルマの結果を受けとるのであります。
 
ある人が解放されて、その個別性が宇宙生命に溶け込んでしまいますと、その人の過去生のカルマの影響はその人のむすこか孫、あるいは血縁者が受けとることになります。

反作用はどこまでも続きますので、その人の家系が絶えてしまっても血縁者にいちばん近い人か友だちか、またはなにかの縁でつながっている人に届くのです。
 
カルマ、すなわち行為の反応または結果は、かならず行為の主に戻ってきます。

たくさんのウシの群れのなかから、子ウシがその母親をみつけ出すように、また手紙がかならず名宛人に配達されるように、行為の結果もその行為をした人のところだけに戻ってきます。
 
カルマ哲学によれば、いまここにだれかが幸せであるとしたら、それは過去の善い行為の結果が現われているということになるのです。

つまり、有徳の行為によって大気中によい、しあわせな、調和的な波動を作り出した報いが戻ってきているのです。

現世で苦しんでいる人があるとすれば、それは大気中に、かつて苦悩と不健康とみじめさの影響をまきちらした結果を、身に受けているのです。
 
幸福にせよ、苦悩にせよ、みな本人の責任です。

楽しんでいるのは、自分の行動が原因で楽しんでいるのですし、悩んでいるとしたら、それも自分の行動が原因で悩んでいるのです。
 
だれかが大きな喜びを私たちのところに持ってきたとしますと、私たちは、その人自身が生来幸福にあふれた人だ、というように思います。

しかし、カルマの哲学にいわせるならば、その人は私たちが以前に世界中にひろめた幸福を、そのとき返しにきたので、私たちの目には、幸福いっぱいの人にみえたのだ、ということになります。

つまり、私たちの善いカルマの反作用が、その人を通じて帰ってきたのです。

郵便配達人と同じように善い結果を配達にきたわけです。

もしも、その人が性質上幸福でいっぱいだとしたら、どんなときにも、だれにも、不幸をもたらすことは絶対ない、という結論になりますが、それは事実と違うことでしょう。
 
ある人々には善く、別の人々には悪いようにみえるならば、その人はまるっきり善人であるとはいえません。

本当に善人なら、万人に善く見えるはすです。あらゆる点で悪い人なら、だれの目にも悪く映るはずです。

ところが、実際にはまるっきりの善人とか、どこからどこまで悪人という人間はおりません。

だれでもある時は善く、ある時は悪いというふうです。

つまり、いま述べたように、だれでもほかの人たちの善いカルマや悪いカルマの配達人になっているのです。

あなたの悪い行為の結果を配達する役目をしているとき、その人はあなたに不幸をもたらしますし、善い行為の影響をもどしてくれるときは喜び持ってくるのです。

ですから、不幸がきたときに他人を責めてはなりませんし、幸福がきたときも有頂天にならず、しずかな釣り合いの取れた心で受けましょう。人間の聖なる天性には、そのような釣り合いの心境があります。
 
カルマの哲学を知っていると、私たちは当然つとめて善いことに心がけようという気持ちになるはすです。しかし、なにが善いか、なにが悪いかを、どうやって決めたらいいのでしょうか? 


(以上、転載終わり)

続きは、是非、本の方で。

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プロフィール

三休さん

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のブログへようこそ!

昭和28年東京都江戸川区  小松川の生まれ

都電の西荒川駅前にあ
った生家には、故赤塚不二
夫さんが下宿していました。

上の写真は、昭和30年5月石森章太郎さんが赤塚さんを訪ねてきた時のもの。

赤塚さんは、その2年後有名なトキワ荘に引越しました。

徒歩数分の石毛肉店には、私と一緒に住んでいた従姉と同じ深川高校に通う五月みどりがいて、この翌年に歌手デビュー。

生家の2軒隣にその数年後、横綱柏戸が引越してきました。

私は、その後両親が近所に建てた家に引越したのですが、3軒隣にラグビー日本代表だったターザン橋本(本名橋本晋一)氏が住んでいて息子が私と同級生。

息子H君はその後早稲田ラグビー部の主将。

私が小中学校時代に通ったラグビースクールで一緒にプレーした新日鉄釜石7連覇の立役者Mr.ラグビーと言われた松尾雄治君とその後早明戦で戦ったのには驚きました。

私も高校でラグビー部に入ったのですが、挫折。結局それが遠因で、精神世界に。

そして今に至るのですが、何が幸いするか分かりません。

もし、そのままラグビーを続けていれば、何がしかの世界で成功したかもしれませんが、失敗の人生を歩んでいた可能性があります。

真の意味での成功者とは、永遠不滅の至福の境地である「悟り」に達した人々のことであり、そこに向かって着実に前進している人々のことを言います。

(「悟り」「真の成功者」に関して詳細は、本ブログ記事「ホイットニーの死をバガヴァンの教えから考察する」等をご参照ください。)

まさに「人間万事塞翁が馬」。

趣味は瞑想です。

1977年から瞑想しています。      
基本的に24時間瞑想しています。
もちろん、座って瞑想するのも大好きです。

意識の内側へ入れば入るほ
ど、より覚醒し、より自由に
なってゆきます。

瞑想をとおして、
この世界のあらゆる楽しみ、
快楽をはるかに凌駕する
時間、空間を超えたこの
現象世界の源である
永遠不滅の純粋意識、
そしてその本質である
絶対的な自由と愛と至福を体験します。

多くの方にこの事実を体験を通
して知って頂きたいと思ってい
ます。

覚醒剤もドラッグもいりません! 

ただし、瞑想には、効果的で正しいやり方があります。

正しい角度で飛び込み、正しい泳ぎ方を身につけることで、スムースに海中深くに潜ることが出来ます。

それと同様で、効果的に効率よく、マインド(心)の内側深くに入り、究極的にはマインドを超越する方法が、正しい瞑想法です。

古来より覚者方より様々な瞑想法が、伝えられております。

マインド(心)は、永遠でもなく、真我(本当の私)ではありません。

その正体は思考であり、常に変化して止まず、幻影です。

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