幸せなお産が世界を変える&バガヴァンの教え(2)

医者はヤクザや強盗よりタチが悪い

最近、近所の書店に行ったところ、慶応大学医学部講師の近藤誠氏の本が、売り上げベスト10の中に2冊(1位と4位)、他の1冊もベスト15に入っていて驚きました。

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いづれも抗がん剤や医薬品の危険性、現代医療のペテン性、出鱈目を暴いている内容です。

私もこのブログで、船瀬俊介さんの著書などから抗がん剤や医薬品、ワクチンの危険性・有害性を紹介してきましたが、ようやく多くの人々が、この現代医療の犯罪性に気づきだしてきたようです。

近藤誠氏は、医師の立場から1988年に月刊「文藝春秋」で、乳がんはきらずに治る―治癒率は同じなのに、勝手に乳房を切り取るのは、外科医の犯罪行為ではないか」という論文を発表したり、「新・抗がん剤の副作用が分かる本」(三省堂)等の著書で抗がん剤の有害性とその背後にある利権構造を告発した最初の人物です。

昨年は、これまでの勇気ある告発が認められ、第60回菊池寛賞を受賞されました。

この方大学では不遇でした。年齢的にいって、とっくに教授になっていてもおかしくないのですが、講師のままでした。医学界の腐敗した実態を暴露してしまった為に相当迫害されたようです。

私もベスト1位になっていた「医者に殺されない47の心得」(アスコム)を買いました。

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その前書きに「医者はヤクザや強盗よりタチが悪い」と強烈な一文が書いてありました。

「ヤクザは、素人衆を殺したり、指を詰めさせたりすることはありません。強盗だってたいていはお金をとるだけです。

しかし、医者は、患者を脅してお金を払ってもらった上に、しょっちゅう体を不自由にさせたり、死なせたりする。」


拝金主義が蔓延った理由

前回の続きとして今回も取り上げる「幸せなお産が日本を変える」の中で、著者の吉村正氏は「西洋科学主義がお産をダメにした」と語っていますが、西洋科学主義の根幹にあるのは、唯物論的なものの考え方です。

唯物論は、霊や神の存在を否定します。

また、この宇宙に働くカルマの法則(仏教では因果応報として知られています。)に対しては、全く無知です。

物理学では、作用と反作用として知られている法則と同様の法則が、人間の行為に対しても働いているという厳然たる事実を現代科学では知りようがありません。

自分のした行為の結果が、何日後、或いは何十年、何百年も経ってから返って来るなどということは、今の科学では解明しようがないからです。

この唯物的な考えが、どうせ人間死ねば終わり、今(今生)さえ良ければ何をしてもいい、お金さえ儲かればいい、自分や自分の家族さえ良ければいい、という刹那的で、拝金主義のエゴ・ワールドを作ってしまったのではないか。

例えば中国の共産党幹部やユニクロのようなグローバル企業のトップが労働者が汗水流してもたらした富を独り占めにしたり、ウォール街のギャンブラーたちが実体経済を滅茶苦茶にして世界中の人々の富を収奪したり、オレオレ詐欺師が老人を騙してお金を奪ったり、ハッカーがコンピューターを使ってお金を略奪したり等々。

※「不労所得は、不幸を招く?!」というサブタイトルで以下の記事を書いています。ご参照ください。

☆宝くじ1等当選者の8割が借金漬けの理由(1)

☆宝くじ1等当選者の8割が借金漬けの理由(2)


カルマの法則、医者たちが辿ることになる過酷な運命

これらは皆、ネガティブなカルマを作る行為ですが、医者達がそれ以上に罪深いのは、お金をただ儲けるだけでなく、患者たちを食い物にして医療や治験の名の下に殺したり、苦しめたり、不具者にしたりしていることです。

彼らは、今生ではそれなりに贅沢な暮らしが出来て快適な人生を送れるかもしれませんが、その後どうなるかまではおそらく考えたこともないでしょう。

シュリ・バガヴァンによると、この大宇宙には、21のローカ(世界、次元)が存在すると言います。

この21のローカは、大きく3つに分かれ、上の世界に7つ、下の世界に7つ、真中に7つあり、私たちの今いる世界は真中で、バガヴァンによると、現在の地球より下のローカには地獄と呼ばれる世界も実際存在するとのこと。

彼らは、この世界では合法だから何のお咎めもない、と思っているかもしれませんが、この大宇宙の法則、カルマの法則からすると、今生で警察に捕まって罰を受ける以上の過酷な運命が待っているのです。

物理学における作用に対する反作用の力は同等ですが、カルマの法則は若干違うようです。

蒔いた一粒の種は、何倍にもなって収穫されます。

それと同様で、自分の行為の応報は、等倍ではなく、何倍にもなって帰ってくると言われています。

(行為の結果が連鎖的に拡大してゆく為と思われます。)

よって、行為主体である本人だけでなく、子孫などの親族にまで何代にも亘って影響を及ぼすのです。

かつては、日本でもこういった仏教的な教えや概念は一般人にも広く知られていましたが、特に明治維新以降、徐々に西洋の物質主義というか合理主義的な考えが浸透するに従って、こういったスピリチャルな教えは廃れ、拝金主義が世の中に根を張っていったように思われます。

(世界的には、1991年のソ連崩壊以降、新自由主義或いはグローバリズムと呼ばれるものが台頭し始め、それと共に拝金主義が加速、蔓延してきました。)

今や、それが人間のお産という本来神聖な行為にまで入り込み、生まれてくる子の一生を左右する重大な時期を台無しにしているのです。

この出産時の体験が、多くの人々にその後の人生における苦しみの種となって影響を及ぼしているのです。


産婦人科病院を作ることより、飢えた民を救え

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最近のニュースによると北朝鮮の金正恩が、産婦人科病院を作ることに熱心なようです。

最新式の設備を備えた産婦人科病院が、あたかも先進国の象徴のごとく思っているのでしょうか?

彼はスイスに留学していたようで、西洋志向はその時の体験で培われたものと思われますが、遊園地などの娯楽施設はまだしも、西洋の悪しきものに無駄金を使わないで、地方で飢える民にお金を使って欲しいものです。

それでは、前回の続き「幸せなお産が日本を変える」の中から、著者の吉村正氏が「西洋科学主義がお産をダメにした」と語る部分から抜粋転載させて頂きます。

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(以下、抜粋転載開始)

いまの産科学は安全、安心か

医療が進歩して、お産は昔より、安全、安心になったといわれています。本当にそうでしょうか。

たしかにピカピカの手術室に近代的な機械をいっぱい並べ、お産を全部管理すれば、いかにも安全、安心なお産ができるような気がします。

でもそんなものはまやかしです。

いちばん安全なのは、神からもらったこの体の仕組みを最大限引き出すことです。

女性の体は実にうまくできています。

お産のときは、子宮を収縮させるホルモンや母乳を出すホルモン、陣痛の痛みをやわらげるホルモンなど、さまざまなホルモンが出ます。

お産が自然に進めば、こうしたホルモンのダイナミックな働きが見られるのです。

でも、産婦が医療機械で管理されたり、メスやはさみで切られたり、医者に怒られたり、明るい手術室のなかで恐怖を感じると、肝心のホルモンの分泌が悪くなります。

生理的なメカニズムが狂わされてしまうので、お産がうまく進みません。

その結果、陣痛促進剤などを使って、人工的にホルモンを補わなければならなくなります。

ところがこのホルモン量を調節するのがひじょうに難しい。

本来ならホルモンは脳の指令によって絶妙にコントロールされているのですが、薬として血液のなかに人工的に注入されると、母体や胎児の動きとは関係なく、ホルモンがどんどん勝手に作用してしまいます。

子宮は収縮して、胎児を押し出す。でも母体や胎児にその準備ができていなければ、赤ちゃんは生まれてきません。

そして母子ともにひじょうな苦痛をともなう難産となり、それでも生まれないので、吸引したり、鉗子(かんし)で引っ張ったりして出すことになります。

赤ちゃんは狭い産道の中で仮死状態におちいったり、激しく吸引されることで脳内出血を起こすこともあります。

医者がよけいなことをしたために、自然にまかせておけば無事に生まれた赤ちゃんが、重い障害を負い、医療訴訟になってしまうケースもあります。

なぜこれが安全で安心なお産なのでしょうか。

私のところでは、医療の介入をほとんどしなくても、安全で安心に生まれています。

自然な体の仕組みにまかせておけば、逆子や狭骨盤など産科学的に医学的処置が必要とされているお産も、ほとんどすべて何の問題もなく自然に生まれてきます。

ついでにいえば、先進国でも医者ではなく、助産婦が子供を取り上げるところが増えているそうです。

そういう国で赤ちゃんの死亡率が増えているという話は聞きません。

医療が介入すれば、安心、安全だというまやかしにだまされてはいけません。


表面しか見ない医学部の教育

私が医学生だった頃、お産について教科書に書いてあることを、必死になって覚えたものです。

本に書いてあることが正しいと教えられてきましたし、マニュアルを覚えなければ、試験に通らなかった。

いまなら、はっきり間違いだといえます。

誤解を恐れずにいえば、あんなものはお産のことを何も知らない人が書いたものです。 

それをバカみたいに覚えた者が、試験に通って医者になれる。 

バカだから覚えられるのであって、少しでも自分の頭で考えたり、疑ったりした者は医者になれません。私もそのバカの一人でした。

でも、本物のお産がバカの頭を見事に吹き飛ばしてくれた。

初めて女性のお産を見たときの衝撃はいまでも忘れられません。

本当に心臓が止まりそうでした。それまで教科書を読んだり、解剖をやったりはしていましたが、人体は汚いだけで、あまり見たいとも、さわりたいとも思っていませんでした。

ところが生身で見た女性のお産は、最高に神々(こうごう)しくて、神聖だった。

あれは男にとって神の行為そのもの、驚愕以外の何ものでもありません。

それまでお産のことは概念的に理解しているつもりでしたが、概念などというものは、実際のお産の前では、けし粒ほどの存在にもならなかった。
 
お産は神が創った精巧なメカニズムを、目に見える形で私たちの前に提示してくれるものです。

私は心底うちのめされたような衝撃を受けました。

でもその頃の私は、まだ神のやっていることに深く思いをいたらせるほど、謙虚ではありませんでした。

最初の衝撃が過ぎると、今度はお産を科学の力で征服してやりたいと思いました。いかにもコンプレックスの強い愚かな男が考えそうなことです。

だから大学病院では、女の人の大事なところをザクザク切ったり、薬を使ったりして、お産を自分がコントロールしているつもりになっていました。

結局、医学部の勉強はお産をひじょうに浅く見るための訓練であって、浅く、表面的に見なければ、お産をマネージできる人間にはならない。

いまの病院で働く産科医をつくるためには、深く感じたり、考えたりしてはいけないのです。

教科書にのっとった設問があり、それに対して、条件反射のようにパッパッと答えられる人が、私から言わせればもっともバカですが、そういう人が成績優秀者として認められ、往往にして准教授、教授に昇進していきます。

私も途中までそのレールに乗っていました。

ところが、大学院を出る直前におやじが倒れて、岡崎に戻ってきた。よかったと思っています。

私は医学の勉強をしながらも、ずっと違和感を感じていました。

本心では産科学など根本から信じていなかった。

こんな浅いところをすくっていって、どうなるのか。

そういうものに信をおく人生を送っていなかったのだと思います。

その頃はまだそれほど意識的ではありませんでしたが、私の心はもっと深いものを見ていきたいと感じていたのです。


生身の人間より数字のいまの医学

いまの医学は科学的なデータを優先します。「エビデンス・ベースド・メディスン」などといい、結果として出てきた数字で物事を判断します。

目の前の人間を見ずして、わざわざ人間を数字に置き換え、データだけで見る。まるで子どもでも思いつきそうな浅はかな考えです。 

自分が実際に体験し、その感覚を通して世の中を理解し、生きていくのが生き物の生き方ではないでしょうか。

動物はすべてそうしています。人間だけが生きるうえでいちばん大切な「感覚」を忘れて、データに走ってしまいました。

はっきり数字にあらわれなければ、信じないという学問はやめたらいいと思います。

数字では、赤ちゃんを可愛いと思う気持ちや幸せな思いはあらわせません。

まったく自然な力で生まれた赤ちゃんは、無理やり産まされた赤ちゃんとは全然顔つきが違う。

パッと見て、違いがわかります。なんという可愛い顔をしているのだろう。なんて穏やかないい顔をしているのか。でもそれは数字にはなりません。

いちばん大切な人間の感情の深い部分を考えずに、ただ数字を追い求めていても、肝心なことは何も見えてこないのです。

本当の診断とは、データを見ることではない。 その赤ちゃんがこの人間社会に生まれてきて、生涯、本当に幸せな人生を送れるかどうか、幸せな母と子になれるのかどうか、を見ることです。

それは数字を見ていてもわかりません。

たとえばよくいわれていることに、周産期死亡率の数字があります。

お産のとき、生まれてきた赤ちゃんがどれくらい亡くなるかをあらわした教字です。

あるとき、私の講演で、こんな質問をした人がいました。

「先生はいまの産科学を否定されますが、医学が進歩し、お産を支えるようになったからこそ、周産期死亡率が下がったのではありませんか」

たしかに、昔は1000人のうち40人の赤ちゃんが生まれるときに亡くなりました。

いまは1000人のうら7人くらいしか死にません。それは医学の進歩のおかげではないか、とその人は言うのです。

どこかのお医者さんか、大学の先生だったような気がします。

私は思わず「バカを言え!」と言ってしまいました。40人死ぬはずが、7人に減ったとしても、そのことは幸せか?

自然に生まれれば死んでいた命を、医学の力で無理やり生かし、いっぱい管につないだり、あちこち切ったりして、延命させたところで、はたしてそのことで人類の幸せが増したことになるのか? 

40人死んでいたときのほうが、よほど子どもはうまく育っていました。

医学が人の命にどんどん干渉し、人間は長生きできるようになりましたが、だからといって前より幸せになれたとは言い切れません。

原始的であったほうが、人としては幸せだったかもしれない。

数字だけ見れば、40人死ぬより7人しか死なないほうが、進歩したような気がします。

でも、それはたんなる数字のまやかしです。幸せ度ではかれば、どちらが幸せかわからない。数字では中身がわかりません。

大切なのは、赤ちゃんが死なないことだけではなく、幸せに生きることです。

死ぬべき命を助けるのが、無条件にいいことだと考えるのは医学の傲慢です。死ぬ者は死に、生きる者は生きる。

生死を決めるのは医学ではない。神です。人間が勝手な思惑と勝手なエゴで、神の領域をおかしてまで、命を操作し、得意になっているのは生命に対する冒瀆ではないでしょうか。

私は、「エビデンス・ベースド・メディスン」など信じません。私が信じるのは、この目で見て、心で感じた感覚だけです。


妊婦を不安にさせる産科学 

いまの医者は妊婦を不安にさせるようなことばかり言います。

あれをやってはいけない、これをするとこんな問題が起こると、マイナスなことばかり言っておどかす。

間違っても「あなたは素晴らしい。何の問題もありません」などと言うことはありません。

そんなことをして、もしお腹のなかの赤ちゃんに何かあったら、「あんたはやぶ医者だ」とか「ちゃんと注意してくれなかったから、こうなった」と批難され、最悪の場合、医療訴訟を起こされてしまう。

それが怖いからです。とにかく、悪いことを言っておけば、間違いない。

そうすれば何かあっても、「あのとき私はこう注意しましたよね」といちおうの責任逃れができるからです。 

だから妊娠すると、医者から恐ろしいことをたくさん言われます。

妊婦は心配になって、ビクビクする。病は気からと言われるくらいですから、おどかされると、どこかおかしいところが出てきます。

妊娠したネズミを、いつもビクビクとストレスがかかる状態におけば、妊娠が順調に進みません。

医者がおどかせばおどかすほど、おかしくなって、そうすると医者は薬をたくさん出せます。

入院させたり、手術もできます。医者はもうかってしかたありません。

産科医がみなそうたくらんで、わざとやっているとは思いませんが、結果として、妊婦を「ビクビクさせていることは事実です。

ビクビクして心配だから、家でゴロゴロ安静にしている。暇だからパクパク食べる。

安産の大敵であるゴロゴロ、パクパク、ビクビクの状態を医者が率先してつくり、リスクの高いお産を生み山しているのです。

だいたい、医者にしてからがビクビクしています。教科書には恐ろしいことしか書いてありません。

逆子の何十パーセントかは正常に生まれるが、残り数パーセントにはこんなリスクがある、と書いてある。

すると、もうその数パーセントにしか頭がいきません。

逆子の妊婦が来ると、医者のほうはもうビクビクもので、その教パーセントのリスクを避けたいがために、早く帝王切開をしようとします。

患者のためではない。自分が訴えられたり、批難されたりするのが怖いから、自分のために医学的な処置をするのです。

しかもそのほうがものすごくもうかるわけですから、もうこちらを選択しない手はありません。

なぜ医者はあんなに妊婦を叱ったり、不安にさせるのでしょうか。

たとえ不安なことがあっても、そこは医者が自分のなかにしっかり受け止め、妊婦に対しては「大丈夫、大丈夫」と安心させながら、お産を上手に導くのが医者の務めではありませんか。

でも、叱るといえば、私ほど妊婦を叱る医者はほかにいないかもしれません。

診察した際、ゴロゴロ、パクパクしている兆候が見えたときは、めちゃくちゃに叱ります。

私の診察は、医学的な診療のほかに、もっとも大事な母としての心構え、妊娠の哲学的な意味、女がいかなる存在なのか、妊娠・出産の奇跡とその神秘を伝えます。

そして、ビクビクするより、いかに生命力を上げるか、命に満ちた生活をすることの重要性を伝えます。 

妊婦を不安にさせる医者は、自分の不安を妊婦に押しつけているだけです。

そんな医者は、医者の風上にもおけません。

(以上、抜粋転載終わり)


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プロフィール

三休さん

Author:三休さん
のブログへようこそ!

昭和28年東京都江戸川区  小松川の生まれ

都電の西荒川駅前にあ
った生家には、故赤塚不二
夫さんが下宿していました。

上の写真は、昭和30年5月石森章太郎さんが赤塚さんを訪ねてきた時のもの。

赤塚さんは、その2年後有名なトキワ荘に引越しました。

徒歩数分の石毛肉店には、私と一緒に住んでいた従姉と同じ深川高校に通う五月みどりがいて、この翌年に歌手デビュー。

生家の2軒隣にその数年後、横綱柏戸が引越してきました。

私は、その後両親が近所に建てた家に引越したのですが、3軒隣にラグビー日本代表だったターザン橋本(本名橋本晋一)氏が住んでいて息子が私と同級生。

息子H君はその後早稲田ラグビー部の主将。

私が小中学校時代に通ったラグビースクールで一緒にプレーした新日鉄釜石7連覇の立役者Mr.ラグビーと言われた松尾雄治君とその後早明戦で戦ったのには驚きました。

私も高校でラグビー部に入ったのですが、挫折。結局それが遠因で、精神世界に。

そして今に至るのですが、何が幸いするか分かりません。

もし、そのままラグビーを続けていれば、何がしかの世界で成功したかもしれませんが、失敗の人生を歩んでいた可能性があります。

真の意味での成功者とは、永遠不滅の至福の境地である「悟り」に達した人々のことであり、そこに向かって着実に前進している人々のことを言います。

(「悟り」「真の成功者」に関して詳細は、本ブログ記事「ホイットニーの死をバガヴァンの教えから考察する」等をご参照ください。)

まさに「人間万事塞翁が馬」。

趣味は瞑想です。

1977年から瞑想しています。      
基本的に24時間瞑想しています。
もちろん、座って瞑想するのも大好きです。

意識の内側へ入れば入るほ
ど、より覚醒し、より自由に
なってゆきます。

瞑想をとおして、
この世界のあらゆる楽しみ、
快楽をはるかに凌駕する
時間、空間を超えたこの
現象世界の源である
永遠不滅の純粋意識、
そしてその本質である
絶対的な自由と愛と至福を体験します。

多くの方にこの事実を体験を通
して知って頂きたいと思ってい
ます。

覚醒剤もドラッグもいりません! 

ただし、瞑想には、効果的で正しいやり方があります。

正しい角度で飛び込み、正しい泳ぎ方を身につけることで、スムースに海中深くに潜ることが出来ます。

それと同様で、効果的に効率よく、マインド(心)の内側深くに入り、究極的にはマインドを超越する方法が、正しい瞑想法です。

古来より覚者方より様々な瞑想法が、伝えられております。

マインド(心)は、永遠でもなく、真我(本当の私)ではありません。

その正体は思考であり、常に変化して止まず、幻影です。

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