上江洲先生、東日本大震災を語る

今回の震災に関連して、上江洲(ウエズ)義秀先生が、光話でメッセージを発しておられます。

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(写真上江洲先生、サハスラーラ・チャクラ周辺から光を発しています。)

ディクシャ・ギヴァーでもあるUさんから送っていただきました。ご紹介します。小川さんという方が、筆記されたようです。

2011年 3月17日 山梨ふれあいの会  一部 光話


『天災』

この災害を,天災、、あるいは偶然とかたづけている方々がおります。天を知らぬ者が、どうして天災などと言えましょうか?

天とは神の無限として完全意識が天であることを理解できるならば、はたして天は、我々に災害をもたらすことがあるでしょうか? あるいは、災難をもたらすことがあるでしょうか?

天災、なんの天災か、と。 天は神の完全意識であることを知らねばなりません。じゃ神の完全意識は常にあなたがたを愛し、常に見守っていることが天であることを知ってもらいたい。

じゃ天災でなければ何なのか? あるいは偶然でなければ、何なのか、と言います。

この宇宙に一点だって偶然が存在するなら、神の創造は完全ではありません。なにゆえに神の創造は完全なのか? 一点の狂いのない、無限の法則の中に万物は創造され生かされていることを理解してもらいたい。ならば、天災でなければ、何なのか、、と聞かれます。

いつも私は言いました。動物や鉱物、植物が、天変地異、天候異変を引き起こしているのではないのだ、と。あるいは、今、岩波さんが言われたように、母なる大地が勝手にそのような現象を引き起こしているのではないんだと。だから地球を変えていくのは、動物や植物、鉱物ではないんだと。美しくこの地球を立て直し、美しい地球建設へ導けるのは、万物の霊長たる人間、、と、いつもわたしは話してまいりました。

ライオンが象が、草原をかけめぐることはできても、地球を変えることはできぬ、と言います。
花は美しく咲きほこることはできても、地球を変えることはできぬ、と。
雨は地表を洗い流すことはできても、地球を変えることはできません。

じゃ、地球を変えることができるのは誰なのか? 美しい地球を建設することができるのは誰なのか? これこそ万物の霊長として、今、生かされている我々ひとりびとりであることを知ってもらいたい。

じゃ、この今のように、さまざな破壊的な現象を起こさせているのは誰なのか? (それが)人間であるならば、人災ということを知らねばなりません。だからこそ、人間の心が愛に満たされ生きることができぬかぎり、今の現象は続いていくだろう、、と。いつこの現象の世界から、戦争、テロ、今のような災難や災害がいつ止むのか、、と聞かれます。

それは、あなたがた次第、と言います。あなたがたが真の自分が何たるか、に目覚め生きるまで続くでしょう、と。 

わたしは今回の地震も何十年前から説いてきました。2011年に入ると共に、あなたがたの想像も越える現象がおこるだろう、と。今だかつて人類が、体験したこともない経験したことのない、みなさんはそれを目の前に見せつけられていくだろう、と。で、それをわたしは、何十年前から説いてきました。

それを身近に感じたのは、明日はニューヨーク(セミナーに出発)という、ちょうど東京の無限の会(3月9日)のセミナーで八王子のインターを越えた時でした。もう、これは止めていいものか、で、動かしていけないものか。 (神は)けっしてその現象は止めてはならぬ、と言われました。

だから、知っていながらにして、それを見るのが、はたしてあなたがたは、どれほど辛い、、ということを理解してゆかねばなりません。あなたは、過去が見える、今が見える、未来が見える、、こんな能力を与えられていい、、といいます。もちろん、この現象という世界はまぼろしです。たとえまぼろし、、という現象世界であっても、はたしてニューヨークでも多くの方々が祈りました、兄弟姉妹のために、祈っていきましょう、と。で、朝に昼に番に、その祈りがありました。日本の兄弟姉妹のために、と。

これは肉体という側面から見れば兄弟姉妹でしょうが、常に実相という根源の世界に意識を置いているわたしからすれば、どうなのか、。今わたしが、わたしと説いてるわたしは肉のわたしではありません。肉のわたしならば、それは兄弟姉妹、とも言えましょう。しかし、今回、犠牲をとったひとりひとりは、誰なのか? 他の面をもったわたしです。 他の名前を持ったわたしです。

だから、わたしでないものが今回、犠牲としてこの現象にまきこまれた者はいないことを知らねばなりません。じゃ、そのわたしが失われていく姿が何週間、何カ月、何年前に見れるわたしが、どれほど辛いか、みなさんに理解できましょうか?

結果という幻の世界、どうでもいい、という人間もいます。そうならば、なぜ肉体を持ってここにいる必要があるのか、、と。我々は、神、我として美しくこの現象の世界を生きるために、ひとりびとりが名前を、あるいは形を変えたひとりびとりが生かされていることを知ってもらいたい。

だから、ちょうど八王子のインターをくぐったあたりで、明想の中で今回の現象を見せられた時に、わたしの心はかきむしられるような痛みを感じました。わたしは少々のことでは、痛みも全てをはねのける自分自身が、ここまで今回わたしは感じました。

ちょうど、どういう現象で見せられたのか。たとえば建物を作るのに、柱と梁を結ぶのはこれはみなさんが想像もできぬほどの大きなボルトで留めています。これ、わたしも何十年間とび職で、鉄骨を組みたてた体験があるだけに、一本、二本のそのボルトで結ばれています。で、そのボルトそのものは、我々に意味すれば何を意味しているのか?

愛です。 で、その愛というボルトが、とうとうねじれて、引きちぎれる姿を、その時見ました。
で、わたしはそれを止めていいものか。で、それを現象をどうすればいいのか?

『これは全世界の人間が、真実の我を我として理解していくのに、どうしても必要』・・(ということに)おいて、わたし(に対して神は)『どうしても動かすな、』と言われたことに、わたしの心はかきむしられるような痛みを感じました。

それは私が言い続けてきた中にも、まだ万分の一(の天災の現象)。で、それを見た後に、あと二つの大きいものを見てます。その愛のボルトがひきちぎれるか、、。で、それをほんとにそのままにして愛で建設していけるかは、日本の人間と、今私が覚者上江州義秀先生について中国、ヨーロッパ、アメリカ、、いたるところに飛び回っているその方々の意識次第であること。

たとえば、みなさんの人体にもツボというものがあります。で、みなさんを破壊するにもツボをはずしていれば、何十発皆さんに弾丸を撃ち込んでも簡単には死にません。しかしそのツボにあたるならば、一発で豆一個をあてた状態で、みなさんの肉体は崩壊します。

このように現象というこの結果の世界には、全てこのように一つ一つの国々に、あるいはその地球トータルにそのツボがあります。で、今回は日本というこの状態がおかれているし、現れているでしょうけど、次にわたしが見ているのは、、これは世界をも崩壊するほどのツボが、、そのボルトが、、愛を灯さずにして、今ひきちぎれようとしています。

だから私は今、どの国が今一番重要であり、その国そのものをたたかれれば、もう世界の崩壊、、というものを、わたしは見ています。これはまだ言葉には言えません。これはまだ神はけっしてこの現象の世界に口を通してどの国を、、ということは語ることは許されていません。

必要にして必要なところに、その愛の波動という慈場をつくりあげていることをみなさんは知ってもらいたい。今、一番重要な場所にわたしは飛び回ってます。もしそこが愛という波動を失えば、そのボルトはひきちぎれていくだろう、、。で、世界の崩壊へとつながっていく場所をしめされていくだろう、、と。

だから、その時も、、明日地震(がおきる)という時も、あの東京の無限の会で多くの方々から現象的に多くの質問がありました。金がなくて苦しいです、、と。じゃ、あなたは今、食べるものも失っているのか、、と。で、住む家も失っているのか、、と、。あるいは暑さ寒さをしのぐ、この洋服もないのか、、と。それは充分に満たされているのか、、と。

この瞬間、どんなにあなたが世界の富を持って贅沢三昧で生きているにしても、明日があなたに見えましょうか?明日がその時私には見えておりました。今日の金持ちは、明日のドン底を見るかもしれない。今日、どんなに美味しいものを贅沢で食していても、翌日からは、、、で、わたしがニューヨークでそのニュースを見たかぎりにおいては、、きゅうり一本、もう食べていれればいいほう、、と言われました。あるいはおにぎり一個。 

このような今まで我々が生きてきた贅沢が、いついつまで続くのか、、とわたしは何十年前から光話の中で語ってきたか、、。

今こそ我々は、真実の自分を愛として、神として、立て直しいかねばならぬ、、もうそのドン底のふちにたたされていることを知ってもらいたい。個人ことの泣きごとを言ってる場合ではありません。もしわたしが、見ているそのボルトがちぎれるならば、世界崩壊の現象が起こる、、ということを知ってもらいたい。 そのボルトは何を意味しているのか、。それは、ひとりひとりの愛です。
ひとりひとりの愛でもって、柱と梁が支えられていることを知らねばなりません。そのボルトがちぎれてみてください。その梁と柱がもう崩壊するほかないことを知ってもらいたい。

自分とは何者なのか、、。果たして、物や物質で争う、万物の低長といえましょうか。 この大宇宙を創造し、大宇宙に命を与え、愛として、智慧として、力として、光として、、全ての存在の根源である能力を携えたあなたがたが万物の霊長であることを知ってもらいたい。

万物の霊長たるものが、動物、植物、鉱物よりも劣った生き方で、、、同じ形の上から見ればみなさんは兄弟姉妹と言うかもしれない。しかし、わたしが、わたしという根源から見るならば、全てわたしであることを知ってもらいたい。

わたしがわたしと説いているのは、肉体という側面からわたしを説いているのではありません。

わたしとは、神です。 わたしとは、愛です。  わたしとは真理です。

そこの側面から見ているわたしならば、今回犠牲をとってこの肉体をぬぎゆくひとりびとりが、全てわたしであることを知らねばなりません。だからみなさんに、あなたがたの前に、今立っているわたしに真実のわたしが見えるならば、そのわたしがあなたであることを知るだろう。と、ならば、みなさん、なんと言いましょうか?

わたしはあなたであり、あなたはわたしであり、、我は全体であり、全てが我なり、、、と、。このように言い切ることができるではないでしょうか。

もう分離で争っている時ではありません。戦争やテロで同じ根源にして一体なるものが、戦い会ってる場合ではありません。共に真の自分が神であることに目覚め、神であるわたしを、全てを愛わかちあって生きれるひとりびとりになってもらいたい。

いつもわたしはこのようにも説いてまいりました。たとえば、ある者が、、、、わたしの病気、わたしの悩み、苦しみ、、、、まぬがれることができるだろうか、、と、わたしのもとに訪ねてきた、、と言います。これは例えです、、今みなさんに語るのは、、。

で、わたしはその者にこう言いました。

あなたは、あの何カラットのダイヤや宝石をちりばめた金の腕輪でもいい、銀の腕輪でもいい、その台に乗せて、はめておけよ、、と。その時、その者はこう言いました。わたしはそのような物を買うお金もありません。でまたそのような物を作りに行く時間もありません。とうとうわたしに言われた時期で体調を崩し、ドン底に陥ったとき、『あなたに言われた通り、金、銀、、のその台にダイヤをちりばめて腕輪を作ってきました、、と。

わたしはその者に、なんと言いましょうか? もうその時期は過ぎ去った、、と。だから私は今回ニューヨークでも『やれる時に、やれることをできぬ愚かな者になってはならぬ、、』と。『やれる時にやれることを徹底してやりぬく、あなたがたになってもらいたい』、と。

過ぎ去ってから歯をくいしばって歯ぎしりしても、足ずりしても、もう間に合うことがありましょうか? もし、、、まぁわたしはこれは後悔とかそういうものではありません、、。で、多くの方々に、わたしはけっして悩み苦しめるために言うことではありません。

もし、日本の人口のもう少し、何分の何でも、、今日岩波さんが言われたように、、真剣にこの肉体を伝導体にして明想を通して、愛の波動、バイブレーションを放ち生きるものが出ていたならば、今回のものでもくい止められないものではなかったことを知ってもらいたい。

それは、今の科学は根拠がなければ天変地異や天候異変は、愛のない結果、、と言ったって、それは信じることはありません。それは日本という国は、マグマが下を通り、で、それがプレートがはねあがって何がどうして、、というその理屈づけで、その地震や雷、台風もいいかえます。

全て、それ、そのものが愛の波動でもって、どうするのか、、。破壊的な波動が触れて、どう現れてくるか、、その差が常に我々の上にのっかっていることを知らねばなりません。その中に、我々は生き生かされていることを知らねばなりません。

だから、この2011年、2012年、2013年の、、全ての浄化が終えた時には、逆にこれほど破壊をとるそのエネルギーが、愛と言う波動に働きいきた時、、どうなるのか、、。今回の地震から津波でこの現象世界を飲み込んでいくには、ほんの一瞬だったではないでしょうか? ほんの一瞬でこれほどの破壊力を持つエネルギーが、、、それはエネルギーは建設のエネルギー、破壊のエネルギー、、、エネルギーそのものには何のかわりもありません。ただ人類の意識というその意識に、そのエネルギーがどう働いていくか、、だけであるか、、ということを知ってもらいたい。

だから、もし今回働いたそのエネルギーが、この地球建設、そのエネルギーとして働くならばどういう現象が起こるのか? これもまたみなさんが、想像もできぬ働きで、この現象の世界をいかしていくだろう、、。

せっぱつまってからやろう、、なんて、不可能であることを知ってもらいたい。だから、時間ある限りは、あの愚かなる五名の女性のように、いつお婿さんが迎えに来てもランプのふやを磨いて、灯りをともして、いつでも天の扉をくぐっていけるように準備してほしい、、と。

しかし、愚かなる5名の女性は、、まだ時は早い、、まだお婿さんが迎えに来る時期は早い、、と、飲んで食べて、歌って踊って、、肉の快楽に溺れて生きてる間にとうとうお婿さんが迎えに来てしまった。あわてだして、ランプのふやを磨いたところで、灯りをともそうとしたところで、もう天の扉はしまって間に合うことはなかった、、。もう入ることはできなかった、、。賢い女性は、いつもランプのふやを磨いて、灯りをともして準備していた。いつお婿さんが迎えに来ても笑い、微笑み、喜んで、天の扉をくぐることができた、、と。

どの方を我々は生きていくのか、、。あのなまけものの女性のように人生を失っていくのか、、あるいは賢い女性のように、日々に我々はたゆまぬ努力を積み重ねて、根源という本質の世界に錨をおろしていれる自分であれるのか、、。そこはもう幕が二つに引き裂かれる時が来るだろう、、と、言われるように、ここまでせまっていることを知らねばなりません。だから、時間のある限りは、、、。
まだ時はある、、まだ時間は余裕、、と、飲み食いしてる間にとうとう迎えが来るだろう、、。
じゃ、お婿さんが迎えに来るとは、何を意味するのか。 肉体を脱ぐときを意味します。

もちろん、わたしは今回犠牲となった方々の非難、批判ではありません。この状態で、一瞬にして地震の下敷きとなり、あるいは波にのみこまれて、この肉体脱いで去り行ったなら、はたしてどれだけの人間が、どれだけの方が、根源と言う実相に錨おろせた方がいたのか、、。ほとんどみ無にも等しいほどだろう、、と。なぜなのか、。

肉体持ちながら、どこから出てきたのか、、どこに帰るのか、、、それを見失ったものが、どうして実相という本質の世界に帰ることができましょうか。 また幽界という迷いの中に、自分をとどめおくことほかにありません。また幽界という迷いの世界から、またこの現象という結果という仮想の世界へ、輪廻転生、転生輪廻を繰り返して、迷ってまい戻ってくる愚かなる者となるか、、。今、肉体持ちながら、どこから出て来たのか、どこに帰るかを、それを知るものとなれるか、、。

もうひとりびとりが、、その位置に立たされてることを知ってもらいたい。わたしは自信持って言えることは、わたしは4歳、5歳にしてそれを追求したと言います。どこから出て来たのか、、どこに向かって旅をしているのか、、旅の目的は何なのか、、。旅の目的を終えてどこへ帰るのか、、。わたしはそれを4歳、5歳で追及して、はっきりその答えを自らわたしはつかんでいます。

で、死んで人間はどこへ帰るのか、、死んで墓、、と言うけれど、墓の向こうはどういう世界が待っているのか。死を追求したのは、2歳と言います。だからわたしにとっては、ただこの世の学校で学ぶ、読み書き計算、、魅力も感じなかった、、。もう物心着いた時には、なぜ、人間には輪廻転生があるのか、、なぜカルマというカルマが存在するのか、、。さまざまな疑問を、わたしは何十年間も追及してまいりました。

今の人間のように、我々を育てた大人のように、、ただいるからいる、、ただ周りのものが食して生きるから生きる。そのようなむなしい人生を歩むために、わたしは今生肉体を持ったものではない、、と、学校の先生に言い切りました。だから学校の先生が、わたしの質問に、、わたしの納得いくほどの答えを答えきれた先生が1人もいなかったがゆえに、わたしは今生、ただ読み書き計算を学ぶために、ここに肉体持ったのではないことを、わたしははっきり言い切りました。

人間意識、肉体意識、、というこれは偽我です。その偽我から神性意識、霊性意識,,仏性意識という真我に目覚め、真我を顕現して、一転生を正しく、美しく、終えていくために、今肉体あることを知ってもらいたい。

最高学位を得て、地位や、名誉、財、富、金、物に恵まれて、、年頃に来れば、いい男性いい女性にめぐりあって結婚して子供をつくり、生涯、優雅な生活を終えたところで、その人生は無智、めくら、迷いの人生を終えただけにすぎぬことを知ってもらいたい。

真の自分、、(を)神としてみいださぬかぎり完成とげた人間はひとりもおりません。だからわたしは、結婚とは二通りの結婚があると言います。今、この現象の世界で女性が男性が、結婚、、と言います。もちろんわたしはそれを否定はしません。しかし、今生我々が真実の結婚を求めて肉体を持ったのは、神との一体感であることを知ってもらいたい。

『 神は我なり、、。我は神なり、、。我と神とは一体なり、、。』その境地にいたることが真実の結婚であることを知ってもらいたい。だからわたしは、(真実の)結婚は、、結ぶ、、、魂・・『 結魂 』と書きます。 『 神との一体感、、神との合一、、』 六十七億の人間の目的は、本来この結魂を望んで今この現象の世界に肉体あることを知ってもらいたい。

もちろん今から結婚しようとする、この現象世界で結婚しようとする若い方々に結婚するな、、という権利はありません。またわたしは止めにきたものでもありません。しかし、この結婚は、、今の女優さんみたいに、今日は誰と結婚して明日はまた離婚、、。で、あさってはまた誰かとくっついて、またその次は離婚。可哀そうなものよ、、と言います。はたして、その状態で真の自分を見失ったその一転生、、人生を終えて、、、周りから見れば何億という結婚式があげられ、優雅な生活で一転生を終えて、良い、、というでしょう。

実相という本質の世界から物が見える世界から見れば、これほどむなしい人生はない、、と、知らねばなりません。 これほど可哀そうな者はないことを知らねばなりません。

神との合一、、。これは世界のいろんな教えで説いているヨーガ。キリストのヨーガ、クリヤヨーガ、ハタヨーガ、、瞑想ヨーガ、カルマヨーガ、クンダリー二ヨーガ、、、ヨーガ、ヨーガ、、で、世界いたるところで、そのヨーガ教室で教えられています。そのヨーガそのものも知っていない、ヨーガそのものを理解できずにヨーガを教え説いている者の、なんて多いことか、、。

わたしもほとんど、アメリカ、ヨーロッパ、中国、、、行く場所行く場所でヨーガというヨーガを見ています。イギリス、フランス、あるいは、ノルウエー、スエーデン、ニューヨーク、、いたるところでヨーガを見ます。しかし、いまだかつて真実のヨーガに出会ったことはありません。

真実のヨーガは、さまよう思考、で、さまざまに悪しき思い癖、悪習、全てを制御した中に、無限という神との一体感、合一が、、これが本当のヨーガであることを知ってもらいたい。じゃ、神との一体感の無いところに、何のヨーガがありましょうか。

我と神とは一体なり・・。 その境地にいたってこそ、真実のヨーガ、、真実の結魂、、であることを知ってもらいたい。

今回の中国でも、「 わたしにも永遠の伴侶が見つかるだろうか? 」「いつみつかるだろうか?」あるいは、わたしに教えてほしい、、と言われる、そのように質問をした方もいっぱいいました。
『なぜ、、、あなたは、常に永遠の伴侶と一体ではないのか、、。どの伴侶を望むのか。いつかむなしく朽ち果てていく、この表現体であるものを、あなたは真の伴侶として得たいのか。』

真の永遠の伴侶は、人々の中に内在したる神であることを知らねばなりません。神と我とは一体である、、その境地に至った時に、久遠にして常在、不滅にして絶対実在、、。

久遠とは永遠のあなたがた、、
常在とは常に在るあなたがた
不滅とは、一度だって破壊されたことのないあなたがた
実在とは実際に在るあなたがた

それと完全なる融合ができた時に、その境地に至ったときに、みなさんは永遠の伴侶を見出したことでしょう。二度と死ぬこともない、、二度と病み苦しむこともない、、。

だから全世界ではっきりわたしは言い切ります。わたしの永遠の宝物は、世界誰をも奪うことはできない。世界の武器をむけても破壊することはできない。たとえわたしが今回の災害で津波に飲み込まれたにしても、あるいは地震の下敷きになったとしても、わたしの不滅の宝物まで奪った津波はありません、、で、破壊した地震はありません。

なぜでしょうか? あなたがたの目に写し見れる所にわたしは宝物を持ってるではありません。この現象の世界には、、銀行にとて一円の貯金もない、しかし世界の誰よりも、永遠不滅の無限の宝物を所有してることもあなたがたには理解できぬだろう、、と。

これこそ、無限の宝物、、神との一体感です。だから真実の至福、永遠の不滅の至福とは、神を我としての一体感が無いかぎり、世界の富をつかんだところで、そこには幸せも喜びもないことを知ってもらいたい。

昨日までは、こんな物が食べられるのか、、と、そのように生きていた方もいたかもしれない、その何万人の中には、、しかし、一夜明けてからの今日からはどうなのか、、。きゅうり一本、、おにぎり一個食べれていれればいいほう。これは、わたしがちょうど何十何年前に、、、南米の生活を終えてわたしがちょうど沖縄の地を踏んだ時に、その現象を見せつけられています。

今、人類の意識が、個人欲望、、自分さえよければいい、、自分の家庭さえ守っていればいい、、自分の国さえ豊かであればいい、この利己主義、、この欲望、、そのような意識から全体意識への目覚めがなければ、パンひとかけらのために親子が殺しあう時がくるだろう、、と。

だから、この先、みなさんが愛のボルトでしっかりと支え、ひとりひとりがつなぎあってなければ、そういう現象がいつ起こりくることもしらぬことを知ってもらいたい。

まだわたしが見せられた現象からすれば、今回のものでも万分の一にしかすぎぬことを知らねばなりません。もし、それが大きく拡大していき地球そのものの一番最高ポイントを叩かれるならば、世界崩壊であることほかにありません。

愛のボルトでしっかりと留めおくためには、、みなさんひとりびとりが真理に対する理解と、で、ひとりびとりが真理を顕現し、一瞬一瞬生きることが最高な愛であることを知ってもらいたい。
自分さえよければいい、自分の家庭さえ守っていればいい、自分の国が豊かであればいい、、(では、なく、、)
今このような物があったればこそ、全世界から、、 『我々はじゃ、日本に何ができるのか、、。日本の兄弟姉妹のためにどう手伝うことができるのか、、何を提供すればいいのか、、』と、。ある国は、電気を発電する発電機だとか、、あるいはまた、今流失するその核を納めるためのまた放水車、、と。さまざまなものが国々から手をとりあってそこに寄せられているのは、それがなかったならば、どうだったでしょうか? もちろんわたしはそういう現象がいい、、と言ってるのではありません。

人間はドン底に至らないかぎり、真実の愛わかちあう、、ということをできぬのか、、と。なぜそのような痛みを痛手をおう前に、なぜ人類ひとりびとりが手をとりあって愛わかちあって生きることを見失っているのか、、と。

神はあなたがたの共存、共栄、共生を望んでいることを知ってもらいたい。

我が子たちよ・・・共に手を携えて、、共に存在しあい、、共に栄えあい、共にひとつなる愛をわかちあって生きよ・・・と。常にあなた方の内側で内在の神、、わたしは常に訴えていることを知らねばなりません。肉体というこの現象我の側面からわたしをわたしと説いてるではありません。

 ここに集いし、あなたがたひとりびとりが、神として全ての根源であるこの原因の中に君臨したるあなたがた、、けっしていと小さき弱き、このような災害に振り回されて混乱するいと小さきあなたがたではありません。あなたがたの力、、あなたがたの受け継いだその遺伝、遺産は、想像もできぬ無現そのものの力であり、、愛であり、光であり、、智慧であることを知ってもらいたい。

我は神なり・・我神なるがゆえに、無限の智慧、無限の力、無限の愛の泉宝庫、、我が内にあり、、これほどの能力をあなたがたは、神、我として、、今即、受け継いでいることを知ってもらいたい。これわたしは全世界に、これこそが真実のDNAとわたしは言いました。さまざまなこの肉体的な不調和、病を、、DNAで受け継いだいと弱き、小さきあなたがたではありません。

神、我として、神そのものの全ての能力を、受け継いだあなたがた。本当の真実のDNAを受け継いだあなたがたが万物の霊長として、神そのものであることを知ってもらいたい。

何を受け継いだといいましょうか? 悩みや苦しみや、この肉体的な不調和を受け継いだいと小さき弱きあなたがたではありません。無限を携えたあなたがたです。無限の能力を一瞬一瞬顕現できる最高能力を携えたあなたがたです。これこそが、真実のあなた、、。いつかこのように、朽ち果てる、変化してやまぬ、この肉体物質があなたがたではありません。

我、、、、血や肉体、姿、形でもなく、人間、肉体、個人でもなく、、、その背後に実在する無限にして絶対実在である無限の愛であり、智慧であり、力であり、全てトータルして神ということを知ってもらいたい。じゃ、今まで教わった神は何なのか、、。手の届かぬはるかにまします神なのか、、白いひげをそこにたくわえて、杖をついてあなたがたの前に現れる神を、神なのか、、。

神は全ての存在の根源である、、、これは、どうして無限なる神がみなさんの前に言い切ることができるのか、、無限の神をもし言葉で語ったとしたら、神を知らぬ者、、。無限の神は、、常に例え、、方便でしか語ることができぬことを知ってもらいたい。それは中国の偉大なる老子と言う方が、こう説きました。知られざるものは、けっして語ることはできぬ、、と、。で、語るものは、また何も知ってない、、ということを、知らねばなりません。語るものは知らず、、で、知らぬものは神はあれだ、これだ、、と、語っていくだろう、、と。

はたして無限の神が無限の愛が、無限の真理が、どうして言葉に語ることができましょうか。だからわたしは、愛は、、無限なる真理は、、説きえざるもの、、と説いて、『説き得ざるものは、悟るしかない、、』といいます。つまり悟る、、というのは、実際にその神を自ら感ずることです。あるいは実際に感じることです。それで、神であって、、、どうして説き得ない神を説くことができましょうか。どうして文字で書きしるすことができない神を、言葉や文字で書きしるすことが、また言葉で説くことができましょうか。

もしわたしが神の全てを説いたというならば、その者はうそでしょう。どうして無限の神が言葉に説くことができましょうか、どうして無限の神が文字で書き記すことができましょうか。説き得ざるものは悟るしかない、、と。悟るとは、、実感、、実際に感ずることです。それは明想から訪れることを知ってもらいたい、、。

明想、、。だから明想は、真実の神を我として実感するために、あるいは直感するために、味わうために、、最高手段であることを知らねばなりません。世界に未だかつて明想を通さずにして、真実の自分を見出したものは、1人もいないということを知らねばなりません。明想はけっして遊びごとではありません。けっして明想は遊びの道具ではありません。また幽界なるこの憑依を受けて混乱することが明想があることではありません。

真の自分のが何者かを探るために、真の自分が何者かを追求するために、明想という正しさが与えられていることを知ってもらいたい。明想を通さずにして、いまだかつて本当の我と融合した者はいない、というほどに、明想はいかに大切なことであるか、、。ただ一般の人間のように、ただ生きてるから生きてる、、ただ、ここにいるからいる、、ただ周りの者が食して生きるから生きる。そのような一転生、人生を終えたところで、どうしてどうしてこの根源である本質と融合することができましょうか。

これはわたし、、どこで、コマーシャル、、描かれているものを見たのか、、。おそらくベッドのコマーシャルだったでしょう、、。『人生の3分の一は睡眠である、、』と。人生の3分の一を睡眠をむさぼっているならば、どうして本質である神との合一ができましょうか。

心を尽くして、精神を尽くして、魂を尽くして、力を尽くして、、汝の主である神を愛して、、愛した時に、、神はあなたがたに自らの姿を写し見せることを知ってもらいたい、、。今回、中国でもいました。わたしは神なんて絶対に信じません、わたしは宇宙や地球なんてあるいは、誰も絶対に信じません、、と。私は一言、、『あなたが神を信じようが信じまいが、、あなたが信ぜずとて、神はここに存在する。あなたが信じないから存在しない、、ということは不可能です。どんなに時代の新旧において、その真理は変わることはない、、』と、言いました。神が時代の新旧において、人間の観念、概念で作り変えることができるでしょうか。破壊することができるでしょうか。

神は不死不滅永遠の愛の法則であることを知ってもらいたい。だからあなた方は、偶然にこれが現れた、、偶然に何かが起こった、、(と言うけれど)。 針先一点でも、偶然というものがあ 神の愛の法則は完全ではない、、ということを知らねばなりません。一点の狂いもありません。

たとえばわたし自身が、じゃ今生は非常にわたしは正しく、、誰かが見ても、どう見ても、、もしわたしが正しく生きてる、、と見ていると言いましょう。しかし、わたし自身、、さまざまな災難がぶつかり、災害がぶつかり、いろんな現象をともなってわたしの人生はもうドン底の人生よ、、というならば、、、みなさんから見れば、何であんなにも正しく生きてるのに、何の結果なんだろう、、というかもしれない。

病気に例えても、3つのパターンがあることを知ってもらいたい。たとえば、、まぁ、わかりやすく、胃にガンがあるとします。ある者は、物理的な面で作り上げたガン。ある者は霊的な面。ある者は過去幾転生の中で、正しく生きることができなかったその結果刈り取りで、、自らそのガンでもってその全ての今までの思い癖、悪習を克服せんとしている者。

もし病気に物理的な面、、というならば、たとえば、、医者に『あなたはこれ以上、酒、たばこ、やりすぎると、胃にガンができるだろう、、』、、と。そう言われたところで、やめることができない。
酒におぼれ、たばこを吸い、で、麻薬やそういう薬物を吸い、それでもって作り上げた胃のガンならば物理的な現象といえましょう。

しかしそうでなく、なぜガンが、、というならば、それは破壊的な想い、破壊的な言葉、、破壊的な行為、、霊的な面でつくりあげたガン。あるいはまた、恨み、怒り、で、嫉妬、、そのような破壊的な意識状態でつくりあげたガンならば、それはまた霊的な面,、といえましょう。

しかし今生、、霊的な面でも物理的な面でもない、、にもかかわらずガン、、だというならば、、それは幾転生の過程の中で、道を神として生きることができなかった結果、、今生こそガンでもって今までの全ての汚れを、全ての思い癖、悪習、焼く尽してまいります、、それで克服してまいります、、と。そのように背負ってくる者もいましょう。だから、同じ病気に例えても、3つのパターン。だから我々も、このようになぜ今生こんなにも立派に生きてるにもかかわらず、なぜその者が、あのような災害にまきこまれなければならないのか、、なぜそのように災難に飲み込まれていかねばならぬのか、、それは、その者の一点の狂いのない計算から、全てがこの現象の中におかれていることを知ってもらいたい。

もちろん我々は、ひとりびとりが愛そのもので生き、愛そのものでこの地球を宇宙を調和させるならば、あえてそういう宿題を引きずり出して混乱する必要もありません。だから、真理は全てを自由ならしめん、、と言っているのは、その意味ではないでしょうか。

たとえば、わたしが、戦国時代だったならば、私が誰かと戦いあって、、城を攻め落とすのに誰かを殺した、、といいます。どこかの大将を、。で、必ずそのものの息子が、必ずわたしにかたき討ちで、むかってくるだろう、、と。で、私の息子が、またその殺した息子をかたき討ちにいくだろう、、と。じゃ、そのような無智、めくら、迷いで生きるかぎりは永遠に続き、続き、続き,,いかねばならぬことではないでしょうか。今、現象の世界でおこっている戦争もその通りです。戦争で平和を勝ち取った国は一つもありません。

だから戦争を止ますのは、愛です。で、そのようなかたき討ち、かたき討ち、、で、そのような現象を止ますのは、愛であることを知らねばなりません。愛で克服できぬものはありません。全て、宇宙真理という愛という、その智慧なる火花で焼く尽すために今我々は、全国で全世界で、、この真理をもちいてることを知ってもらいたい。

だから私が、、明日からは沖縄のセミナー、、沖縄のセミナー終わってくれば、またインドのセミナー、、。で、わたしは全世界に何を説きに行くのか。 

人類はひとつ
神はひとつ
宗教はひとつ
世界はひとつ
宇宙はひとつ

その状態で、、全人類が愛のボルトとなって、全てを支えていかぬかぎり、地球崩壊、で、国々の崩壊をまぬがれることはないことを知ってもらいたい。

共に我々は、さきほども岩波さんが言われたように、同じ兄弟姉妹であるならば、共に手を携えて、共存、共栄、共生、、愛わかちあっていき、本当の美しき地球を建設していくために、今我々はここに生きていることを知ってもらいたい。ただこの世の現象に溺れ生きるために、物や金や物質に溺れるために、全世界の富を持ったところで、一瞬にしてあの津波にのまれ、で、地震の下敷きになれば、今まで目の色変えて汗水流して、あるいは兄弟姉妹を蹴落としてでも、かせいだ金はどうなりましょうか。一円だって一物だって死後の世界まで、あの世まで、この世の物質を持ちかえったものはおりません。

持ちかえるのは、我々はどれほど、正しき愛という表現で、、あるいは愛という徳で、、この自分の魂、、心をを飾れるか、、であることを知ってもらいたい。だから、わたしがものごころついた時から、私のお母さんが常に教え説いたのは、、

『あなたはこの肉体という表現体に、金、銀、ダイヤ、、宝石で飾るあなたではなく、常に愛という徳で、、愛で、この魂を、心を、、飾れる者となりなさい、、』、、と、言われました。
 だから、わたしの生き方は、『愛するは愛されるよりも美しく、全てを幸せにする』と、わたしは生きてまいりました。

 『愛を得ようとする者、愛を失い、、愛を放つ者、、愛を得る』

 『命を得ようとする者、命を失い、、命を放つ者は、命を得る』
 
 『持てる者、更に多く与えられ、、持てぬ者は持ってるものさえも奪われる』、、と。

この世界崩壊、、取らぬように、このボルト、、愛のボルトで我々はしっかりと、手を携えて、共に我々はにぎりしめていたいと思います。

今日も、この時期、この状態であるにもかかわらず、多くの友とここに集い学ぶことができたことに感謝します、ありがとうございました。

(以上、転載終わり)

上江洲先生に関しては、私の書いた次の記事もご参照ください。

覚者上江州義秀先生について 

また上江洲先生のサイトはこちらです。「上江洲義秀-最高の道へ-


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最新記事
プロフィール

三休さん

Author:三休さん
のブログへようこそ!

昭和28年東京都江戸川区  小松川の生まれ

都電の西荒川駅前にあ
った生家には、故赤塚不二
夫さんが下宿していました。

上の写真は、昭和30年5月石森章太郎さんが赤塚さんを訪ねてきた時のもの。

赤塚さんは、その2年後有名なトキワ荘に引越しました。

徒歩数分の石毛肉店には、私と一緒に住んでいた従姉と同じ深川高校に通う五月みどりがいて、この翌年に歌手デビュー。

生家の2軒隣にその数年後、横綱柏戸が引越してきました。

私は、その後両親が近所に建てた家に引越したのですが、3軒隣にラグビー日本代表だったターザン橋本(本名橋本晋一)氏が住んでいて息子が私と同級生。

息子H君はその後早稲田ラグビー部の主将。

私が小中学校時代に通ったラグビースクールで一緒にプレーした新日鉄釜石7連覇の立役者Mr.ラグビーと言われた松尾雄治君とその後早明戦で戦ったのには驚きました。

私も高校でラグビー部に入ったのですが、挫折。結局それが遠因で、精神世界に。

そして今に至るのですが、何が幸いするか分かりません。

もし、そのままラグビーを続けていれば、何がしかの世界で成功したかもしれませんが、失敗の人生を歩んでいた可能性があります。

真の意味での成功者とは、永遠不滅の至福の境地である「悟り」に達した人々のことであり、そこに向かって着実に前進している人々のことを言います。

(「悟り」「真の成功者」に関して詳細は、本ブログ記事「ホイットニーの死をバガヴァンの教えから考察する」等をご参照ください。)

まさに「人間万事塞翁が馬」。

趣味は瞑想です。

1977年から瞑想しています。      
基本的に24時間瞑想しています。
もちろん、座って瞑想するのも大好きです。

意識の内側へ入れば入るほ
ど、より覚醒し、より自由に
なってゆきます。

瞑想をとおして、
この世界のあらゆる楽しみ、
快楽をはるかに凌駕する
時間、空間を超えたこの
現象世界の源である
永遠不滅の純粋意識、
そしてその本質である
絶対的な自由と愛と至福を体験します。

多くの方にこの事実を体験を通
して知って頂きたいと思ってい
ます。

覚醒剤もドラッグもいりません! 

ただし、瞑想には、効果的で正しいやり方があります。

正しい角度で飛び込み、正しい泳ぎ方を身につけることで、スムースに海中深くに潜ることが出来ます。

それと同様で、効果的に効率よく、マインド(心)の内側深くに入り、究極的にはマインドを超越する方法が、正しい瞑想法です。

古来より覚者方より様々な瞑想法が、伝えられております。

マインド(心)は、永遠でもなく、真我(本当の私)ではありません。

その正体は思考であり、常に変化して止まず、幻影です。

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