和尚が説く「カルマ完全消滅法」とは?

和尚が説く、「カルマを完全に消滅させる方法」とは?

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(写真は、映画「グリーンマイル」より)

前々記事「10歳以上若返るチベット体操だけで終わらせてはいけない(1)」の続きを書く上で重要な「カルマ」について、和尚(OSHO)が語っている講話の文章がありましたので、紹介させて頂きます。

和尚の膨大な講話の中から、以前に『
和尚「前世を知れば悟りが早まる理由」を語る』という記事を書いたことがあります。

その中で、和尚はこのように語っていました。

人がもし前世を知ることがあるならば、人間が何万回と生まれ変わる生の中で、毎回同じ様なこと繰り返している事実、及びその愚かさ、虚しさを知るだろう、そして、その結果、人は真理探究の道へ向かう。

その為に、かつて仏陀やジャイナ教の教祖マハーヴィーラは、弟子たちにジャティ・スマランと呼ばれる前世の記憶を思い出す集中的な実験を行った、と。

今回は、インド古来から知られるカルマ論に対して、和尚がそのカルマの完全消滅法を説いているものです。

和尚の著作「Yoga: The Alpha and the Omega, Vol.8 - 1章 」で語られていたようで、非常に役に立つ内容なので、転載させて頂きます。

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はたして、その方法とは?

よしひろ館

(転載開始)

★カルマ

秘教的講話

カルマについての東洋の分析では3つのタイプのカルマがあると言う。

それらを理解しよう。

一つ目はサンチッタsanchitaと呼ばれる。

サンチッタとは総計を、あなたの全ての過去生の総計を意味する。

あなたがしてきたことは何でも、あなたが状況に反応した方法がどうであれ、あなたが考え、望み、達成し、取り逃したものは何でも、その総計、全ての生でのあなたの行為、思考、感覚の総計はサンチッタと呼ばれる。

サンチッタ、その言葉は全てを、蓄積された全てを意味する。

二番目のタイプのカルマはプララブダprarabdhaとして知られている。

二番目のタイプのカルマは、あなたがこの生で果たさなければならない、この生で成し遂げなければならないサンチッタの一部だ。

あなたは多くの生を生きてきた。あなたは多くのものを蓄積してきた。

今、その一部がこの生において実行され、実現され、苦しみ、通過すべき機会を持つ。

ただそれの一部だけであるのは、この生に制限が---70年、80年、あるいは100年という制限があるからだ。

100年ではあなたは全ての過去のカルマを、サンチッタを、蓄積されたものを生きることはできない。

ただそれの一部だけだ。その一部がプララブダと呼ばれる。

それからそこにはクリヤマンkriyamanとして知られている三番目のタイプのカルマがある。

それはその日の、今日のカルマだ。

まず累積全体があり、それからこの生のためにその小さな一部が、それからさらに今日か、またはこの瞬間のためにそのより小さな一部がある。

それぞれの瞬間には何かをするための、または何かをしないための機会がある。

誰かがあなたを侮辱する。あなたは怒る。あなたは反応する。あなたは何かをする。

あるいは、もしあなたが気づいているなら、あなたは単に見守る、あなたは怒らない。

あなたは単に観照者のままでいる。

あなたは何もしない。あなたは反応しない。

あなたは冷静で落ち着いたままだ。あなたは中心に定まったままでいる。

他人はあなたをかき乱すことができなかった。

もしあなたが他人によってかき乱され、反応するなら、クリヤマンのカルマはサンチッタの深い貯蔵庫の中に落ちる。

その時あなたは再び蓄積している。その時未来の生に対してあなたは蓄積している。

もしあなたが反応しないなら、その時は過去のカルマが満たされる---

あなたはある過去生でこの人を侮辱してきたに違いない。今、彼はあなたを侮辱している。

貸し借りは閉じられる。終了した。

気づいている人は少なくともこの部分が終了したことに幸せを感じるだろう。

彼はもう少し自由になってきた。

誰かが仏陀を侮辱しに来た。仏陀は静かなままだった。彼は熱心に耳を傾け、それから「ありがとう。」と言った。

その男は非常に困惑した。

彼は言った。「あんたは狂ったのか?俺はあんたを侮辱し、あんたを傷つけているのに、あんたは単にありがとうと言うのか?」

仏陀は言った。「そうだ、なぜなら私はあなたを待っていたからだ。私は過去においてあなたを侮辱してきた。

それで私は待っていた---あなたが来ない限り私は完全に自由ではない。

今あなたは最後の人だ。私の貸し借りは閉じられた。

来てくれてどうもありがとう。あなたは待っていたかもしれない。あなたはこの生に来なかったかもしれない。

それなら私はあなたを待たなければならなかっただろう。

そして私はもう何も言うことはない。なぜならもうたくさんだからだ。私は別の足かせを作りたくはない。」

それならクリヤマンのカルマ、日々のカルマは貯蔵庫に落ちない。それに追加されない。

それどころか、貯蔵庫はそれがあったものよりも少し小さくなる。

同じことがプララブダ---全人生、この生 ---について真実だ。

もしこの生であなたが反応し続けるなら、あなたは貯蔵庫をますます多く作っているのだ。

あなたは何度も何度も来なければならないだろう。

あなたはあまりにも多くの足かせを作っている。あなたは奴隷になるだろう。

東洋の自由の概念を理解しようとしてごらん。西洋では自由には政治的な自由の含意がある。

インドでは私たちは政治的な自由についてあまり気にしない。

なぜなら私たちは、人が精神的に自由でない限り、あなたが政治的に自由であるかどうかにはあまり違いはない、と言うからだ。

基本的なことは精神的に自由でいることだ。

束縛はカルマによって作られる。

あなたが無意識にすることは何でもカルマになる。

気づきのない状態で為されたどんな行為でもカルマになるのは、気づきのない状態で為されたどんな行為もまったく行為ではないからだ。

それは反応だ。

あなたが十分な気づきの状態で何かをする時、それは反応ではない。

それはひとつの行為であり、自発的で、全一(トータル)だ。それは何の痕跡も残さない。

それはそれ自体で完全なものだ。それは不完全なものではない。

もしそれが不完全なものなら、いつかそれは完結されなければならない。

そこでもしこの生であなたが油断のないままでいれば、プララブダは消えてあなたの貯蔵庫はますます空になる。

わずかな生において貯蔵庫は完全に空になる。

~Yoga: The Alpha and the Omega, Vol.8 - 1章 ~

(転載終わり)


我々に自由意志などない?

宇宙の創造維持管理者のプログラムで動かされている人類


和尚は、私たちが十分な気づきの状態で何かをする時、それは反応ではなく、それはひとつの行為であり、自発的で、全一(トータル)であり、そして、それは何の痕跡も残さない、と語っていました。

そして、この講話の最後で「わずかな生において貯蔵庫は完全に空になる。」と語っています。

つまり、これは悟りの状態にある人の行為について言っているのです。

悟りの状態にある人のカルマの貯蔵庫は、完全に空っぽになる、と。

過去生のカルマの総計であるサンチッタ・カルマ。

そして私達がこの生で果たさなければならない、サンチッタの一部である二番目のタイプのカルマ、プララブダ。

そして、サンチッタの極一部である、今日のカルマである三番目のタイプのカルマ、クリヤマン。

和尚は、今生のカルマの総計であるプララブダ・カルマは消えて、最後には完全に空っぽになると言っています。

おそらく、過去生の全てのカルマ、サンチッタも空になると、語っていたのではないかと思います。

そして、その悟りを開いた人の行為は、それはひとつの行為であり、自発的で、全一(トータル)で、それは何の痕跡も残さない、と。

悟りを開くまでは、私達の行為は、ほとんど無意識的になされているのであり、機械的と言っても良いでしょうし、自分の意思で動いているようでも、実はカルマによって、動かされているのです。

宇宙の創造維持管理をしている大いなる存在のプログラミングによって、地上の各人のカルマに従って演じさせられているのです。

本当に、自分の意思で動いていると言えるのは、悟りを開いてからと言われています。

それまでは、人に自由意志などないのです。

自分に自由意思があると錯覚させられているのです。

本当に自由意志が存在するならば、私達には自由な感覚があるはずです。

「悟り」の状態が、至福だとか、マインド或いは苦痛からの解放とか、真の自由と言われるのは、悟りを開く前の状態が、そういう状態ではないからです。

束縛された状態なのです。


「反応を見ること」が、カルマを解消してゆく唯一の方法

心は常に何かに囚われているのです。

周囲の人間の目に、人間関係に、お金に、地位や名誉に、プライドに、愛欲や様々な欲望に、怒りに、嫉妬に、憎悪に、別離の悲しみに、欲求不満に、心配事に、精神・心は多くのことに囚われ苦しんでいるのです

その為には、全てのカルマを消滅させる必要があるのです。

全てのカルマを消滅させる為には、和尚が語っているように、気づき(純粋な意識、覚醒)を高めるしかないのです。

その為に、今ここで、瞑想的な状態になる必要があるのです。

それには、先ずは、自分の思考、感情、感覚など「反応」を見ることから始めることです。

日常で自分の意に沿わない状況に出くわした時に、私たちは様々な反応をします。

怒りや嫉妬、不満、不安や恐怖など。

それらの反応を見ることで、反応は徐々に弱まって行くでしょう。

例えば、恋人が他の異性と親しげに接している現場を目撃した時、激怒したと。

最初は、意識の表面レベルでしか見ることが出来ないかもしれませんが、それでもそれを見ることで、怒りが以前よりも弱まっていることに気づくでしょう。


意識の量子レベルで見ることで、反応は無くなる

更に深く見ることが出来るようになるならば、徐々に些細な怒りに変容してゆくのが体験されるでしょう。

もし意識の量子レベルで見ることが出来るようになれば、一瞬で反応は消滅します。

怒りなどの否定的なエネルギーは、原子変換を起こし、愛や慈悲のエネルギーに変容します。

しかし、こうなると、反応していないのと同じです。肉体レベルでは、怒りの表情などを見せるかもしれませんが、内側は平安と静寂のままです。

更に深く、本当の自己(真我)であり、思考の源であり、あらゆるエネルギーの源である「存在」「純粋意識」或いは「統一場」と呼ばれる万物の根源のレベルを常に見続けることが出来るようになるならば、反応は完全になくなります。

この状態が悟りの状態です。その状態が、時空を超えて永遠となります。


何故、キリストなど聖者たちは、悲惨な死に方をしたのか?

しかし、ここで疑問が沸いてくるかもしれません。

悟りを開くことで、カルマが消えるとしたら、何故、キリストは磔にされたのか?

イスラム教の聖者マンスールも何故、これ以上ない残虐な形で殺害されたのか?(マンスールに関しては、「
9.11、3.11を起こした面々が、イスラム国を作った?!」参照)

またラマナ・マハリシやラーマ・クリシュナは何故、癌で死んだのか?

和尚も些細な罪で、しかも冤罪の可能性が高いのですが、アメリカで監獄に入れられ、その時に毒を飲まされ、それが遠因となって死にました。

しっかり、カルマはあるではないか?しかも悲惨な死に様の人々もいるのでは?と。

キリストにしても、マンスールにしても、或いは和尚にしても、普通の死に方ではありませんね。

滅多には起きないような死に方であり、滅多に起きない現象て死んでいったことが分かります。

それがよりによって悟りを開いた人々に起きた、と。

悟りを開けば、カルマは全て消えるはずなのに、どういうこと?

と誰しも思う疑問ですが、悟りを開いた人々には、カルマが無くても、悟りを開いていない人々には、多くのカルマが残っています。

キリストの弟子たちにも、ラマナの弟子たちにも、和尚の弟子たちにもたくさんのカルマが残っているのです。

そのような覚者たちの弟子たちや聖者たちを取り巻く人々のカルマは依然として存在しており、その人々のカルマが原因となって、覚者らにそのような現象が起こったのではないかと考えられます。

キリストなど覚者らが、悪いカルマが集約したような悲惨な死に方で死んで行ったのは、そのような死を通して、弟子たちや人類のカルマを軽減することが出来ることに他ならないからではないかと思います。

ということで、弟子たちや人類の為に、彼らのカルマを背負って犠牲とも言えるよう死に方を自ら選んで死んでいったのではないか。

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(写真は、ウィキペディア「ミラのニコラオス」より)

ところで、冤罪で検索すると、ウィキペディアにキリスト教の聖人ミラのニコラオス(聖ニコライ)のことが出てきます。

一説によると、ニコラオス伝がサンタクロースの起源とのことで、非常に美しい逸話が残されています。是非、
ミラのニコラオスに目を通してもらえればと思います。


シュリ・バガヴァンも薦める?映画「グリーンマイル」

更に冤罪で、思い出すのは、「グリーンマイル」という映画です。

ウィキペディアによると― (以下、転載)

スティーヴン・キングが1996年に発表した、1932年の大恐慌時代の死刑囚が収容されている刑務所を舞台とするファンタジー小説。

トム・ハンクス主演。フランク・ダラボン監督。

2000年のアカデミー賞では音響・脚本・作品賞、マイケル・クラーク・ダンカンはアカデミー助演男優賞にノミネートされた。日本での公開は2000年3月25日。

予告編では、スティーヴン・スピルバーグが「途中で堪えきれずに、4回号泣してしまった」とコメントしていた。

(以上、転載終わり)


この映画、シュリ・バガヴァンが薦めているというようにも聞いたことがあります。

名前を忘れましたが、ある科学者が最も好きな映画で、何回も見ている、とどこかに書いていました。

映画はもちろん、ストーリーを読むだけで泣ける映画です。

(以下、ウィキペディアより転載)

ストーリー

1932年、アメリカの刑務所。

死刑囚監房で看守を務めるポールのもとに、一人の大男が送られて来る。

双子の少女を強姦殺人した罪を持つ死刑囚ジョン・コーフィは、その風貌や罪状に似合わないほど弱く、繊細で純粋な心を持っていた。

これと同時期に、知事の妻の甥であるパーシーが看守となり、傲慢な態度で他の看守たちから嫌われる存在になる。

ある時、コーフィは触れるだけでポールの重い尿路感染症を治してしまう。

彼はその後も、パーシーに重傷を負わされたネズミのミスター・ジングルスの命を救い、これを見た看守たちは、彼はその不思議な力を神から授かった特別な存在なのではと考え始める。

同時にポールは悩む。

コーフィが電気椅子に送られること、それを行う自分たちは大きな過ちを犯しているのではないかと。

しばらくして、ウィリアム・ウォートン―通称“ワイルド・ビル”という凶悪な死刑囚が送られてくる。

コーフィはハルの妻・メリンダから吸い取った病気をすぐに吐き出さず、パーシーに移した。

パーシーは錯乱状態となってウォートンを銃で撃ち殺し、まもなく精神病院に送られた。

それからコーフィはポールの手を取って双子の少女の殺人事件の真相を伝え、ポールはウォートンが双子の少女を殺害した真犯人だったと知る。

しかし、コーフィの冤罪を覆す証拠は存在せず、死刑執行が決定される。

ポールたちはコーフィに脱獄を勧めるが、コーフィはそれを拒否して死ぬことを選んだ。

数日後、コーフィは電気椅子に送られ、ポールの手で処刑された。

その後、ポールは108歳になっても健康に生き続け、ミスター・ジングルスも60年以上生き続けていた。

これはコーフィの力の副作用によるものだったが、ポールは自分がコーフィを処刑したことで神から罰を与えられ、家族や友人全員より長生きすることになると信じている。

そしてミスター・ジングルスの異常な長寿ぶりから、自分が死ぬのは遠い先のことだろうと考えている。

(以上、転載終わり)

https://www.youtube.com/watch?v=uDybmxbKf4Y#t=50


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プロフィール

三休さん

Author:三休さん
のブログへようこそ!

昭和28年東京都江戸川区  小松川の生まれ

都電の西荒川駅前にあ
った生家には、故赤塚不二
夫さんが下宿していました。

上の写真は、昭和30年5月石森章太郎さんが赤塚さんを訪ねてきた時のもの。

赤塚さんは、その2年後有名なトキワ荘に引越しました。

徒歩数分の石毛肉店には、私と一緒に住んでいた従姉と同じ深川高校に通う五月みどりがいて、この翌年に歌手デビュー。

生家の2軒隣にその数年後、横綱柏戸が引越してきました。

私は、その後両親が近所に建てた家に引越したのですが、3軒隣にラグビー日本代表だったターザン橋本(本名橋本晋一)氏が住んでいて息子が私と同級生。

息子H君はその後早稲田ラグビー部の主将。

私が小中学校時代に通ったラグビースクールで一緒にプレーした新日鉄釜石7連覇の立役者Mr.ラグビーと言われた松尾雄治君とその後早明戦で戦ったのには驚きました。

私も高校でラグビー部に入ったのですが、挫折。結局それが遠因で、精神世界に。

そして今に至るのですが、何が幸いするか分かりません。

もし、そのままラグビーを続けていれば、何がしかの世界で成功したかもしれませんが、失敗の人生を歩んでいた可能性があります。

真の意味での成功者とは、永遠不滅の至福の境地である「悟り」に達した人々のことであり、そこに向かって着実に前進している人々のことを言います。

(「悟り」「真の成功者」に関して詳細は、本ブログ記事「ホイットニーの死をバガヴァンの教えから考察する」等をご参照ください。)

まさに「人間万事塞翁が馬」。

趣味は瞑想です。

1977年から瞑想しています。      
基本的に24時間瞑想しています。
もちろん、座って瞑想するのも大好きです。

意識の内側へ入れば入るほ
ど、より覚醒し、より自由に
なってゆきます。

瞑想をとおして、
この世界のあらゆる楽しみ、
快楽をはるかに凌駕する
時間、空間を超えたこの
現象世界の源である
永遠不滅の純粋意識、
そしてその本質である
絶対的な自由と愛と至福を体験します。

多くの方にこの事実を体験を通
して知って頂きたいと思ってい
ます。

覚醒剤もドラッグもいりません! 

ただし、瞑想には、効果的で正しいやり方があります。

正しい角度で飛び込み、正しい泳ぎ方を身につけることで、スムースに海中深くに潜ることが出来ます。

それと同様で、効果的に効率よく、マインド(心)の内側深くに入り、究極的にはマインドを超越する方法が、正しい瞑想法です。

古来より覚者方より様々な瞑想法が、伝えられております。

マインド(心)は、永遠でもなく、真我(本当の私)ではありません。

その正体は思考であり、常に変化して止まず、幻影です。

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