やるじゃないか石原慎太郎!!

やるじゃないか石原慎太郎!!

ホメオパシーの最新情報を発信するCHhomメールマガジンから、昨日非常に重要な情報が届きました。

これほど重大なニュースをほとんどのマスコミが報道しないとは?!モンサントから裏金でももらっているのではないか?!

以前から日本のマスコミは全く信用していなかったのですが、ここまで堕ちているとは・・・。

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それにしても石原慎太郎、またまた見直しました。傲慢な政治家は7代祟る、とある覚者が言っていたので、慎太郎の息子たちも大変だなぁ、と思っていましたが、今回の国会での発言は、今までの不徳が半分くらい帳消しにされる位の良い発言でした。

石原氏の都知事時代、この人のやったことで評価できるのは、ディーゼルの排ガス規制があります。(それ以外は?)

その一方、築地市場の豊洲にある移転予定地が、安全基準の43000倍のベンゼン、130倍のシアン、24倍の水銀、7.1倍の砒素、9.6倍の鉛で汚染されていたにも関らず、移転を決定推進しました。

そして、その汚染した企業を告発さえしなかった等、どこまで環境問題を真剣に考えているのか・・・。

(以下、CHhomメールマガジンから、転載させて頂きます。)

遺伝子組換食品の安全性などTPP問題の本質が国会の場で公表される

~サンケイしか詳報しなかったその歴史的な党首討論の内容を
                     CHhomが全文公開します~

▼ほめ日記はこちら
 http://blog.homoeopathy.ac/2013/04/chhom-c24c.html

4月17日に国会で行われた党首討論会で、日本維新の会共同代表の
石原慎太郎議員(前東京都知事)が、TPP問題、遺伝子組換食品
(GM食品)の安全性についての重大な事実を公表しました。
また、政府の対応策につき、質しました。

これに対し安倍総理が歴史的ともいえる重要な発言を行いました。

しかし日本のほとんどの大手新聞はこの極めて重要な答弁を詳しく報道
しませんでした。そこで真実を伝える教育を行っているCHhomとして、
これらの情報を「ほめ日記」を通じて公開いたします。
なぜならマスコミがしっかりと伝えないからです。

今回の党首討論会では、石原共同代表は、英国のバスダイ博士のラットを
使った衝撃の安全性試験の実験結果
(映画『モンサントの不自然な食べもの』でも紹介された)を公表しました。

さらにTPP交渉前の事前の交渉の際に、東京都が実施しようした遺伝子組換
の材料を使っていることを示すステッカーについて、アメリカが使用しては
ならないと要求してきた事実を公開しました。上記の米国の対応につき、
石原共同代表は、「こんなものを野放図に許したらTPPもあったものではない。
人を殺してでも、ものを売ればよいという、そんな国家のエゴが通るわけはない。
とっても大事な問題で、ぜひこれを忘れないで、厳命して、絶対、一歩も譲ら
ないという、こういう交渉を続けてもらいたい。これはある意味でね。
このTPPの問題の非常に象徴的な問題になると思います。」 と発言。

これに対し安倍総理が「食品の安全、消費者の健康、最大の国益でありますから、
すでに交渉当事者に対して、この点については、絶対譲ることはできないという
点につきましては、厳命はいたしております。」と答えた。

国会で1国の首相がこのように発言しています。
政府は、国民の健康と安全を最優先して、TPP参加の判断に当たっては、
この食の安全の確保、国民の健康という最大の国益を最優先して日米間で絶対に
譲らず国家間の交渉をしてください。そして国民1人1人が、その交渉経過を
監視する必要があると思います。

ところが、安倍総理が最大の国益と発言した今回の党首討論の内容は、なぜか
日本のほとんどの大手新聞は詳しく報道しませんでした。
主要紙ではサンケイ新聞だけが、詳しく紹介しています。
(※インターネット検索では、読売新聞と毎日新聞は、1~2行で短く伝えて
います。朝日、日経は「4月17日」「党首討論」「TPP」「石原慎太郎」と
いうキーワードでは掲載記事がヒットしませんでした。)

国民の利益のためにマスコミが報道していない典型的な例だと思います。
そしてそのサンケイ新聞(インターネット版)でさえも、重要な部分を報道
しませんでした。

それは映画『モンサントの不自然な食べもの』でも公表された、
英国のバスダイ博士の実験結果で、遺伝子組換食品をとらせたラットでは
「前癌細胞が増殖の可能性が高まって、脳や肝臓や睾丸が委縮しですね、
縮小してですね一部には肝委縮もみられ、生殖能力が落ちる」という核心部
です。本来伝えるべきマスコミが正確に伝えないため、この「ほめ日記」で、
今回の国会での党首討論のYOUTUBEでの発言部分と、YOUTUBEからテープ起こ
しした文章を公開することになりました。ぜひ視聴、そしてお読みください。

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【速報】2013年4月28日配信 JPHMAホメオパシー新聞

意図的? それとも調査不足?
「200年経ってもまだ科学的証拠のないホメオパシー」
ネットメディア”wired. jp”が事実に基づかない記事を配信

http://news.jphma.org/2013/04/200wired-jp-1ef.html
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(以上、転載終わり)


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覚者が語る昭和天皇、そして天皇制の真義とは?

覚者が語る昭和天皇、そして天皇の存在意義とは?

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今回は、五井昌久師著「日本の心」の中から、五井先生が昭和天皇、そして天皇制について言及している部分を掲載させて頂きます。

これも、非常に感動的で、素晴らしい文章です。

五井先生の文章を読むと、天皇の存在意義というものが、よく分かります。

五井先生は、天皇についてこのように語っています。

「天皇とは、裕仁とか明仁とかいう、そうした肉体人間の名前ではないのであります。天皇とは、中心真空の名称であるのです。

肉体の天皇が、我欲を捨て切れぬようであれば、その人は、天皇の本質から離れた似非天皇ということになります。また、真空には、国民の想念感情が吸いこまれ、流れ入ってゆきますので、国民の想念感情(行為)が汚れていれば、真空(天皇)もそれだけ汚されるのです。 」

結局、天皇という存在を肉体という形をもった人として見ることが、天皇或いは天皇制の本質を見誤る原因になっているのではないか。

私達が、この全宇宙の創造者にして中心、無形なる存在である神(パラ・ブラフマン)に心を合わせることで、地上にワンネス、大調和が達成されるのと同様、天皇とは、眼に見えるこの現実世界において、私達が心を一つに合わせ、全ての人々を調和させる存在として意義があるということです。

ということで、今はおそらく神計らいによって、肉体をもった存在として天皇というものをこの日本に置かれているものと思われます。

それは、この天皇の存在によって、聖徳太子が「和を以て貴しとし」と憲法第17条の第1条に真っ先に記しているように、また五井先生も「日本の天命」の中で語っていたように、日本を調和の本質を備えた国にしているのだと思います。

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(以下、「「日本の心」五井昌久著、白光真宏会出版局刊より転載)


裕仁天皇のこと
   
―献身による神我の現れ―



天皇とマッカーサー

元内閣書記官長、迫水久常氏の、終戦時における天皇の話を、或る本で読んだのですが、その話は、天皇をよく知っておられる人々の異口同音に語る、天皇の善良さと純粋なる国民への愛情を、より詳しく語っていて、思わず涙ぐまれるほどのものでした。

中でも一番感激深い話は、マッカーサーとの会見時における天皇の態度でした。

天皇が連合軍総司令部において、マッカーサーと会見なさることが決定した時、マッカーサーは、たとえ天皇の来訪であっても、自分は最高司令官として日本に来ているのだから、出迎えもしなければ、見送りもしないが、その旨を心得ていてくれ、ということであったそうです。
 
ところが、天皇との会談後は、そうした高飛車な態度が一変して、手を取らんばかりにして、玄関まで見送って出た、ということです。

そうして、彼は帰国後も、人々に語るに、今迄、自分が会見した人物の中で、日本の天皇ほど立派な偉大な人物に会ったことはない、と口をきわめて賞賛していたそうであります。
 
敵将であるマッカーサーを、かくまで感嘆せしめた天皇の態度というのは、一体、どのようなものであったのでしょうか。 


無我献身の天皇

それは天皇が、無我献身の態度で、マッカーサーに対したからなのであります。
 
天皇はマッカーサーに会って、なんと申されたかといいますと、
 
「この戦争は、すべて私が命令し、指揮したのであるから、私の他の何者が悪いのでもない。

この戦争の責任はすべて私にあって、国民の誰一人悪いのではないから、この私一人を戦争責任者として、いかようにも処分していただきたい」
 
と実に率直に、自然に、自分の意見を述べられたのでありました。
 
マッカーサーはそれまで入手した情報で、天皇は平和愛好者であったのだが、軍部の実力者が、天皇に真実の事情をしらさず、自分たちの思う方向に、否応なしに天皇が同意せざるを得ないような状態をつくりあげて、開戦の命令を下させてしまい、戦争中も終始天皇に真実の状態を報さず、今日まで来てしまったのであることを、すでに知っていたのでしたから、天皇が自分に会えば、恐らく、自分は平和愛好者であって、戦争はしたくなかったが、軍部が自分を騙して、戦争にまで持っていってしまったのだ、だから、自分には実際の責任はないのだ、ぐらいのことはいうであろう、と心の中で思っていたに違いありません。
 
ところが、全く意外にも、自分以外に戦争責任者はないのだから、いかようにも自分を処分してもらいたい、と最も自然な態度で、ご自分を投げ出して来られたのですから、びっくりしてしまったのです。
 
そうでしょう。普通の人間は誰でも、実際は自分でやったのでもないことで、罪になったり、首を斬られたりしてはたまりませんから、なんだ、かんだと自分の罪にならぬように、或は自分の罪が少しでも軽くなるように、自己弁護をしたくなるものです。

ましてや、遠い宗祖以来、外敵に侵されたこともなく、国家に君臨していた人が、天皇という最高の位から一挙に、どのような処分に会うかもわからない、戦争責任者という罪を、自分から負いたい、といって来られたのですから、誰でも驚きます。

まして、自己を騙した軍部を含めた国民全体を庇う心で、そういわれたのですから、マッカーサーが思わず天皇を抱きしめたくなる程、感動したということは、さもありなんと思われます。
 
天皇のこうした崇高な態度は、おのずからマッカーサーに天皇畏敬の念を起させ、後からの戦争裁判に、天皇をも呼び出せというような各国の声や、天皇こそ最高の戦争責任者だという各所の声を、キーナン検事と協力して退けてしまって、天皇を守り切ってしまったのです。
 
これは、マッカーサーが天皇を畏敬したことと、こうした天皇を戦争裁判に呼び出して、もし自分だけが只一人の戦争責任者だ、といわれたりしたら、肝腎の実際に戦争に仕向けた責任者たちを罰することが出来なくなって、危険を今後に残してしまう、という実際上の問題もあったわけです。
 

生命を捨てざれば生命を得ず 

なんにしても、天皇の無我献身の勝利であって、キリストのいう―生命を捨てざれは生命を得ず―ということを、実際身をもって示したものであります。
 
また、これより以前、つまり戦争を終結させるかどうかの御前会議においても、天皇はすでに無我献身であられたので、そのみ心が、終戦の大詔となって、日本国民の生命を救ったのであります。
 
あれがもし、自我の強い帝王であったら、どうであったでしょう。

恐らくは、一億玉砕まで戦争をもっていったか、敗戦を恐れて、自殺してしまったかしたでしょう。

何故ならば、自我の強い人は、常に自己本位のものの考え方より出来ないので、どうせ敗ければ自分はどんな目に会うかわからぬのだから、全国民が死ぬまで戦ってみよう、とか、縄目の恥を見るのは口惜しいから、自分から先きに死んでしまおう、とか思いがちなのです。
 
ところが、日本の天皇は、最後の段階に至って、真に天皇の偉大さ、と、天皇あることによる日本の国体の幸ということを、ご自身がはっきり国民の前に示されたのです。

―自分の身はどうなっても構わぬから、国家と国民を救いたい―
 
この大慈悲こそ天皇のみ心であり、キリストのみ心なのであります。
 
イエスが、人類の身代りとして十字架に掛ったと同じみ心で、天皇は全国民を庇って外敵の前に立ったのです。

無我献身、天皇がキリストとなり、仏陀となりきった尊いみ姿であったのです。
 
この事実は、いかに反天皇的な人であっても、事実として認めぬわけにはゆきません。
 
日本を戦争にもってゆき、ついに敗戦せしめたのは、日本という国自体と、国民全部の過去世からの因縁の消え去る姿としての現れであり、天皇は、その惨事を、最小限度に喰い止め得、大菩薩業を成し遂げられたのであります。
 
反天皇主義者はいうでありましょう。

天皇の名で戦争をはじめ、天皇の名において、俺たちは召集されたのだと。

しかしその人たちはよくよく考えねばいけません。

仮りにその時の日本の最高統治者が天皇以外の者、大統領であり、書記長であったとして、一体あの戦争を防ぎ得ることが出来たでしょうか。

出来得た、といい得る者は一人もないのです。

ところが、終戦の大詔における、あの平安なる戦争終結こそ、天皇以外のいかなる最高統治者にも出来得なかったことであると、私は確信をもっていい得るのです。
 
何故ならば、日本のように、あれ程に、天皇という中心に帰一していた国民が、他のどこの国にあったでありましょうか。

あの中心帰一の精神こそ、あのような平安裡に終戦となし得た最大のことであったのであります。

すべての集合体には、中心が確立していなければなりません。

中心が確立していない集合体は決して永続致しません。

それは集団ばかりでなく、人間個人の一個体においてもそうであります。

日本の天皇が、国家民族破滅の最後的段階において、無我しんくう真空の本質を顕現され、国家民族を危機から救われた、という事実は、肉体の天皇の奥から、神の大慈愛の光が輝き渡って、天皇のとうすい統帥する国家国民を救った、ということになるのです。

軍閥といい、内閣という肉体人間の人間智恵によって、天皇の本質が覆われていた時期には、神の光が外に現われ出でなかったのですが、そうした人間智恵では、どうにも出来得なくなった時に、肉体天皇が無我真空の境地になられて、神の本然の姿が、天皇の光が、天皇の言葉の奥から輝き出でたわけなのです。


肉体智を捨てよ

肉体人間の智恵ではどうにもならない、と人間智を投げ捨てて、自我をすべてぬぎすてた時に、神の叡智は、その人間奥から輝き出でて四囲を輝かすのであります。

ですから、人間が、肉体人間の智恵や知識や力だけで、何事もなしとげ得る、と思っている以上は、神の真実の姿はそこに現われては来ないのですから、その人、その国、その民族が、真実の幸福や平和をつかみ得るわけがないのです。

人間の真の幸福というものは、その人が自己の我欲の想いを消し得た率に従って大きく現われるもので、我欲をすべて消し得た状態、つまり真空になり得た時、その人は神そのものであり、仏そのものであるわけです。

終戦時の天皇は、その真空になり得た偉大なる聖なる人であったのです。

真実に自己の幸福を願い、家族を幸福たらしめんと思う者は、肉体人間の世界から、物質や地位や権力の有する幸福感を得ようとする方法を捨て、そうした我欲をひとた一度び神に返上して、一瞬の隙もなく常に神より与えられている生命と共に、その生命の働きにとって必要な物資や地位や権力を同時に与えていただいたらよいのではないかと思うのです。

―神よ、我らが天命をつつがなく完うせしめ給え―こうした祈りの他に、自己自身としての望みはないのではないか、と私は思うのです。

天命(神の使命)をつつがなく完うする以外に、人間のやることはないのに、その余のいらざることを想い行うがために、人間は業想念、我欲の渦にまきこまれて、現在のように不幸になっているのです。

天命がつつがなく完うされることさえ祈っておれば、神はその人の天命(神の使命)が完う出来る物質なり、地位なり、権力なり、人間なりを与えて下さるに決っております。

何故というに、その人は神自身の使命を果そうとしている者だから、神が援助するのは至極当然なことであります。 


人間各自が神の使者

人間は神の使命を分担して、この地上界に生れてきた者であることを忘れてはいけません。

各自が神の使者なのであることを悟ることが、世界平和を築く大事なことだと思うのです。
 
どうしたらそのような気持になれるか、というならば、神という大智慧、大能力を除いての、この世の創生、人間の誕生、宇宙の神秘を解き明してみるとよいのです。

誰一人として、解き明すことは出来ないのです。

自分には解くことが出来ないとわかったら、素直に神の存在を信じて、神によって生かされていることへの感謝をしなければならないのです。
 
神への全託と、神への感謝、それは人類を幸福にする根本原理なのであります。
 
天皇があのように、無我真空になって、自分を投げ出したその結果、国家国民を救ったばかりでなく、天皇自体の生命も、その地位も、そのまま無事に確保出来たのは、天皇という地位が、神にとって必要であるということになる、と考えるより仕方がありません。
 
無我は神への全託ということと同意義だからであります。
 
天皇の地位が確保されたということは、反天皇主義の人たちにとっては、もう一息のところを残念だ、と思ったことでありましょうが、私たち神の使徒にとっては、神のみ心が、日本の前途を指し示されたようで、有難い気がしたのです。

 
日本の使命達成への鍵 

天皇とは、裕仁とか明仁とかいう、そうした肉体人間の名前ではないのであります。

天皇とは、中心真空の名称であるのです。

肉体の天皇が、我欲を捨て切れぬようであれば、その人は、天皇の本質から離れた似非天皇ということになります。

また、真空には、国民の想念感情が吸いこまれ、流れ入ってゆきますので、国民の想念感情(行為)が汚れていれば、真空(天皇)もそれだけ汚されるのです。

天皇(真空)の本質を発揚せしめるためには、国民の一人一人が常に想念行為を浄めておく必要があるのです。

それは取りも直さず、神への奉仕ということになり、日本の使命達成への重大なる鍵ともなるのであります。
 
日本人は大体において、直感的に動く民族であり、感情的に動きやすい国民であります。
 
物事に知性を働かし、いちいち分析して黒白をつけるというより、大まかな直感的な想い方で黒白をつけてしまうことのほうが、本質的な国民であります。

義理人情となると、後先考えずに飛び出してゆく、というような気風が、今日では非常に少なくなったように見えながらも、心の奥には潜在的に多分に残っているのです。

それがうっかりすると、附和雷同的に、あいつがやるなら俺もやろう、という風な傾向になりがちなので、西欧人のように、個人個人が、自分自分の考えで、事をなすという気風とは相違しているのであります。

そうした生き方が、親分子分という関係や、派閥的ないわゆる或る強い力に依存する形になってきて、自己の派のため、親分のためのみに片寄り、相手方の団体の主張や考え方を、故意に曲げて考えるような形になってきているのです。

国会においても、その最もよい見本を示しているのです。
 
こうした感情的な面を多分に持つ国民が、代議士を選び、首相を選び、その上元首までも、自分たちの手で選ぶとしたら、一体どのような事態が起るでしょう。
 
自分たちの選ばなかった首相のやることは、なんでもけちをつけたがる人々が、その上の元首にも、それと同じ態度で臨むことは、火を見るより明らかです。
 
そんなことで、国内の世論が四分五裂しているようであったら、日本の平和はあり得ませんし、ついには外国のよい餌食になってしまいます。

完全独立などは到底出来ない相談です。
 
日本を完全独立させるためには、日本の国民を一つの中心に統一させるより他に方法はないのです。
 
大統領でも、書記長でも、国民を統一させることは出来ません。

やはり遠い昔から在った天皇制が、一番日本国民には自然で、ふさわしいということになってくるのです。
 
天皇は、一部の人たちの他は、案外素直に帰一出来る中心なのであります。 
 

中心への帰一

現在の日本を救う最大の行為は、想念を一つに統一する、ということであります。

国民各自の想念意識が、バラバラであっては、現在のようにすべてに弱少になってしまった日本を、世界に冠たる国家に立ち上がらせることは、到底出来得ないことです。
 
今こそ、国民の想念と能力を、一つ方向に結集しなければなりません。
 
それは、信仰的には神への全託を基本にした世界平和の祈りであり、神霊への感謝でありますが、国家的には、天皇という中心への帰一でなければなりません。
 
どのように考えてみても、現在の中心者、統一者には、天皇以上に秀れたる形が考えられません。

皆さんも、各自が、じっくりこの問題を考えてみるとよいと思います。
 
肉体の姿や形を考えるのではありません。天皇という地位の、現在までの在り方を、他の制度と比較してみることなのです。
 
天皇は別に悪いとは思わないが、天皇の名を利して側近が必ず悪いことをする、と誰かはいうでしょう。
 
しかし考えてみて下さい。天皇の名を利用しなくとも、政府という名で、いくらでも同様の悪事は出来るのです。
 
終戦前には、天皇と国民との間は隔絶されていて、国民の意志は天皇にはとどきませんでしたが、現今は全然違います。

言論は全く自由になり、天皇への進言の方法はいくらでもあるのですから、昔のように、天皇と国民の間を、雲の上下という程に隔絶することは出来ません。
 
今こそ本当に、天皇統治の政治が一番妥当であり、誤り少い時である、と私は確信しているのです。

何をおいても、現在は、国民精神を一つ目的に結集しなければならぬ時です。

今のように、一方は米国に、一方はソ連に、また一方は中国にという精神状態では、まさに、国家の精神分裂症なのです。

このような状態では、永久に一人前の国家として立ってゆくことは出来ません。ついには滅亡し去ってゆくだけです。
 
日本の滅亡を防ぐために、直ちに行わなければならぬことは、国家精神を分裂させずに、一つ中心に統一させることです。
 
五感を超えた世界では神なのでありますが、五感に見える世界では、肉体をもつものでなければなりません。

その見える中心を、天皇として一向不思議なことはないと思われます。
 
それが、日本人の感情としては、一番自然な成り行きだと思います。
 
日本の古い文献には、天皇というみ名が、どのような重大なものであり、崇高なものであるかということが、くわしく書いてあるのですが、それはここでは引用しません。
 
ここでは、常識的に考えても、なるほど天皇という存在者があることのほうが、日本の平和にはプラスだな、と思えるような説明をしているのです。


こころの鏡

天皇への帰一ということを一つの目的として、国民の精神を統一してゆくということは、どのようにしてゆくかと申しますと、まず天皇の不為になることをしない、ということであります。 
 
天皇は本来真空であるのですから、自己の純なる心の象徴、善心の象徴となり、鏡ともなるのです。

ですから、天皇の不為になることをすれば、自己が傷つくということになるのです。
 
この理はちょっとむずかしいのですが、真理なのです。
 
全国民が、天皇を、良心の象徴、善の象徴として、観ずるようにすれば、自己に迷いの想いが出れば、すぐそれが天皇を汚し、国家を汚すのだ、というように思えてきます。

従って、自己が誤ちの中にいることは、天皇の一部を誤ちの中におくということになるのです。
 
ですから、自己が誤った想念行為の中にいることは、天皇の不為になり、国家の不為になるということになるのです。
 
天皇を神という言葉に代えて考えてみましょう。
 
神は愛であり、人間の良心であり、本心であります。

人間が良心を汚し、愛にもとる想念行為をしたとするならば、それだけ神の光を蔽い、本心を蔽い、自己の運命を傷つけ損ねるということになるのであります。
 
現在、神に認可された日本の中心として、天皇が存在するのですから、日本の国民が、天皇を神の象徴としてみても不思議はありません。
 
アメリカが大統領を神の象徴と観じても一向に差支えないのですが、人間の定めた規定によって、或る期間でどうしても退めなければならない人なのですから、神の象徴とは観じにくいのかもしれません。


日本の使命を果すために

もっとも、人間はすべて神の現れなのですから、誰をみても、神の象徴として礼拝出来るようになれば、常不軽菩薩(釈尊の前身)と同等になって、これにこしたことはないのであります。

常不軽菩薩は、誰を見ても、あなたも、あの人もみんな仏様だと、どんな迫害にあっても、人々を拝みつづけたという人でした。
 
なんにしても、神から定められた日本の本来の姿が一日も早く現われるように、私たちは祈らなければなりません。
 
その祈りは、やはり私の提唱している世界平和の祈りなのであります。
 
私たちの日本は、神から定められた重大な使命を有する国なのであり、あなた方の一人一人は、日本を本来の姿に還し、世界に真の平和をもたらす重大な生命体なのであることを、堅く信じなければなりません。

こうして現在日本という国に生れ、育ち、働いているということは、神のみ心が、あなた方を日本人として、日本のために自己の生命を生かして働け、と使命づけているわけです。
 
真実日本のために働くということは、世界人類のために働いているということと一つなのであります。
 
あなたが日本を善い国にし、世界人類の平和を希求するならば、自己が現在与えられている職場に、真剣な努力を払いながら、

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように
の祈りを守護の神霊への感謝と共に忘れずつづけることです。

そして現われてくる悪心や不幸は、すべて消えてゆく姿として、その想念、その事柄に把われぬようにすることです。

(以上、「「日本の心」五井昌久著、白光真宏会出版局刊より転載)


時間を合わせ、共に瞑想することで世界が変わる

以上が、五井先生が昭和天皇及び天皇制について語った文章です。

五井先生は、今回、そして前回の記事「覚者が語る軍備、核武装、そして「日本の天命」とは?」でもご本人が提唱されている世界平和の祈りの実践の重要性について語っていました。

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(写真は、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー)

長年瞑想している立場から言えば、TM瞑想の創始者マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーやシュリ・バガヴァンも提唱されているように、多くの人たちが、時間を合わせ、或いは皆で集まり共に瞑想することが大切です。

現在、バガヴァンの指導により行われている「ワンネス・メディテーション」は、まさに世界中の人々が同時刻に瞑想することで、世界意識に肯定的な影響を生み出しています。

マハリシは、世界人口のルート1%の人々が瞑想することで、世界平和が達成できる、とかつて語っていたことがあります。

現在世界の人口が70億ですから、そのルート1%というと7000人です。

この瞑想をする人々の集合的な効果に関しては、TM関係の科学者たちが数多くの研究結果を残しており、統計学的に証明されています。

サイト「静寂のひととき・・・TM瞑想」の「世界平和のページに詳しく載っていますので是非ご覧になってみてください。

同サイトには、軍隊への導入例として「エクアドルの軍隊がTMを導入」という記事や「TM瞑想を導入したオレゴン刑務所の変化」等、大変興味深い記事が載っています。そちらの方もも是非見て頂きたいと思います。

かつてマハリシは、「もしその国のルート1%の人々がTM瞑想の上級プログラムを取り入れ、時間を合わせ、共に実践するならば、その国は、無敵国家になる」と語っていたことがあります。

今後エクアドル軍のような動きが世界中に拡大してゆくことを祈願してやみません。

それでは、同サイト「世界平和」のページから1960年代に、マハリシが世界平和について語った箇所を転載させて頂きます。


(サイト「静寂のひととき・・・TM瞑想」より転載開始)

世界平和は一人ひとりの内面の幸福から始まる

世界に戦争の危険性が高まっていた1960年代の初め、マハリシはあるインタビューのなかで、世界平和とは個人の心を内側にある平安と幸福の領域へと導くことによって実現できる、と説明していました。

今回は、そのインタビューの内容をご紹介します。


Q:現在の世界の危機的な状況からすると、世界戦争は避けられないのでしょうか?

マハリシ:いいえ。現在の状況は恒久的な平和へと生まれ変わっていかなくてはなりません。

現在の状況が最後の限界まできているとしても、私たちは世界を救って、世界戦争が始まらないようにすることができます。

この超越瞑想という簡単な方法を多くの人たちに知らせるだけでよいのです。

そうすれば、環境に高まってきている緊張は、瞑想を通して個人の中に生み出される愛や善意や調和の影響によって、すぐに中和されてしまうでしょう。

この超越瞑想という簡単な方法が世界人口の十分の一*の人たちに教えられさえすれば、将来何世紀にも渡って世界戦争が始まる可能性はきわめて小さなものになるでしょう。

(*その後、世界人口のルート1%にあたる7~8千人がTMシディプログラムをグループで実習することで世界平和が実現できるということが分かりました。)

世界戦争によって現在の危機を解消することはできません。

もし世界戦争が起これば、それは新たな緊張の原因を生み出すだけです。

そしてそれがもとになって、近い将来にまた世界戦争が始まることになるでしょう。

緊張を解消する方法がないと、危機と戦争のこのようなサイクルが速くなってきます。

幸運なことに、この瞑想が現代の必要に応えるために登場しました。

この瞑想法によって、個人と世界全体の緊張を解消することができます。これを広く宣伝して、早く人々に知らせるだけでよいのです。

環境の緊張というものは、個人の心の表面から放たれる緊張の波動が集まって生じるものです。

心の最も深いレベル、つまり超越のレベルから生まれる調和の波は、心の表面から生じる波よりもはるかに強力ですから、その破壊的な緊張の波を簡単に中和することができます。


Q:危機的な状況が戦争へと高まっていくのを、個人が阻止する方法があるというのですね。

マハリシ:その通りです。戦争の原因となる環境の緊張は、世界中の何百万もの人々の緊張が集まったものに他なりません。

悩んだり緊張したりしている個人が、全体の緊張を生み出しているのです。

ですから、一人ひとりが瞑想して、自然界に肯定的な力を生み出すようにならなくてはいけません。

そして、これまで、日々の生活の中で悩んだり緊張することによって生み出されてきた緊張の波動を、その肯定性の波動によって中和してしまうのです。


Q:意見の相違や辛らつさに引き裂かれた世界に、マハリシはどんなアドバイスをなさいますか?

マハリシ:そのような世界の一人ひとりが瞑想すべきです。

庭全体を緑にしようと思ったら、庭の木の一本一本に水をやらなくてはなりません。


Q:瞑想をすれば、危機的な状況の中でも落ち着きとバランスを保つことができるので、それだけ問題によりよく対処できるというのですね。

マハリシ:そうです。瞑想をしている人は、困難な状況に取り組む力が増してきます。

また、単に問題に取り組む力が増すだけでなく、自分の行動や人間関係の中に調和を生み出すことによって、環境そのものを改善してゆくことができるようになります。


Q:現在の世界的な危機の主な原因は、一般の人たちが精神的に目覚めていないためだというのですね。

人類の精神性が時代の進歩に追いついてきていないということでしょうか?

マハリシ:そうです。これは、過去数世紀の間、正しい指導が欠けていたからです。

しかし、今ではこの超越瞑想という簡単なシステムを導入することによって状況を変えることができます。


Q:マハリシは、現在の世界的な危機をどのように評価なさいますか? また、そこから抜け出す方法として、どんなことを提案なさいますか?

マハリシ:現在の世界的な危機は、もう手の打ちようがないというものではありません。

状況を改善するためには、まだ充分な時間があります。

しかし、根本原因をすぐに取り除かないかぎり、改善は望めません。

根本原因は、あらゆる国々の個人の生活の中に緊張が高まってきているということです。

個人の心を内側にある英知と平安と幸福の領域へと導くこと、解決の方法はこれ以外にはありません。

世界平和を政治的な基盤の上に確立することは決してできません。

なぜなら、政治それ自体がいつも変化しているからです。

いつも変化しているものが、何かを恒久的に確立することがどうしてできるでしょうか? 

ですから、世界平和の問題を解決しようとするとき、政治家をあてにするのは見当違いです。

一人ひとりの個人が解決しなければなりません。

一人ひとりが自分自身の人生において、平和と幸福の問題を解決することによって、世界平和を達成しなければなりません。

超越瞑想という私の技術を用いれば、これを一気に成し遂げることができます。これは世界中の多くの人たちが実際に経験していることです。(TM運動30年史より)

(サイト「静寂のひととき・・・TM瞑想」より転載終わり)

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覚者が語る軍備、核武装、そして日本の天命とは?

覚者が語る軍備、核武装、そして「日本の天命」とは?

五井昌久師の書かれた「日本の心」の中からこれまで、聖徳太子、そして安部首相が大変尊敬する吉田松陰について書かれた文章を転載させて頂きました。

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そして、今回は、「日本の心」から「日本の天命」の箇所を転載させて頂きます。

前回のブログ「打ってはいけない!子宮頸がんワクチンで不妊症か?」で、この「日本の天命」の文章の中で五井先生が「暗黒思想」の人々について言及していることを書きましたが、その文章も掲載させて頂きます。

軍備や核武装の是非についても語られております。是非とも安部首相に読ませたい文章です。

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(写真は「祈りのある生活」五井昌久著、白光真宏会出版局刊より転載)


(以下、「「日本の心」五井昌久著、白光真宏会出版局刊より転載)

日本の天命 

日本の天命、つまり理想と使命は、最後の審判を無事にパスさせる、世界人類の完全平和を達成させる、その中心の働き、その先達としてのものでありまして、その他のものではありません。 

日本は昔から神ながらの国といい、大和の国といい、霊本(日本)といい、日章旗に示されているように、白地に太陽、つまり霊光がまん丸く統一されて輝いている、そういう本質を自ずと現わしているのです。
 
日本という国は、調和の本質をそなえておりまして、中国文化が入ってくると、それをいつの間にか、日本文化の中に融かしこんでしまう、ヨーロッパ文明が入ってくれば、これも直ちに日本流に調和させてしまう、というように、なんでも日本にくると調和されて、日本流になってしまう、という不思議な要素をもっています。
 
各国の料理なども、日本人の手になると、なんでもこなされてしまいまして、日本に来ると、どこの国の料理も美味く料理され、ものによると、その国の料理よりも日本人の手になったほうが美味い、という程になっています。
 
そういうように、各国の特徴を巧みに融合させ調和させてしまう特技をもっているのであります。

ですから今日まで、日本人の発明になるものというのは甚だ少なく、外国の発明発見を、日本人がよりよく改善してゆく、ということになっております。

日本人はよく猿真似が上手だといいますが、確かに発見発明するより、そうされたものをよりよく生かしてゆく調和させてゆくということが上手なのであります。
 
すべてを融和させ和合させるという、日本の本質は、大きくは世界平和ということに重大なる役目をもっているのでありまして、どうしても必然的に世界平和へ向う智慧や方法は日本から生れてくるようになっているのです。

これは現在肯かない人がいても、後には成る程と肯かざるを得ないようになってきます。

日本が現在唯一の核爆弾の被害国であることなどは、日本が核戦争を阻止し世界を平和に導いてゆかねばならぬことを、実証してみせたようなもので、核兵器核装備に対して日本が拒否することは、日本としては当然である、と各国に思わせる充分なる立場をつくってくれています。

核爆撃をされることなどは、日本政府としても、日本国民としても、その日の近ずくまでは知るよしもなかったことで、すべて日本の天命が完うされるための神仕組なのです。

  
日本の進むべき道を誤またせるな

そこで日本の理想と使命を一口にいうと、世界のあらゆる文明文化を融合させ、世界の完全平和の実現のための先達となる、ということであります。
 
右のものと左のものとを融合させ、その和の中から新しいものを生み出す、これが日本の天命の一つなのであります。

右のものに組して左のものを叩いたり、左に組して右のものを叩いたりするのは、日本人のすることでもなければ、日本国のすることでもありません。

日本人はすべてを生かす中庸の道、調和の道を歩むことがその天命なのであります。
 
ですから、その道を外れてしまえば日本の天命は果されないのですから、日本国は滅びるより仕方がありません。

日本国が滅びれば、世界完全平和実現の先達となり、中心となる天命の国は他にはないのですから、世界は滅びてしまうに違いありません。

これを逆説的にいえば、宇宙は大調和にむかって進んでいるのであり、神々や古来からの各聖賢が力を揃えて、地球人類の平和達成のために働いておられるのですから、地球が滅亡することはない。

だから、日本の天命は果されることになる。

従って、日本は滅亡することはない。

ということになり、やがては世界は完全に平和になるに定まっているということになります。
 
しかし、現実の世界は一触即発の危険な状態にあり、現象的にみれば、各予言のように最後の審判的な恐ろしい事態にならざるを得ないようにみえます。
 
ですから人によると、世界の平和などという夢のようなことを考えずに、如何にその場その場を他国に侵かされずに切りぬけてゆくか、ということを問題にして、日本は処してゆかねばならぬ、といっております。

それには米国としっかり手を組んで、共産主義の侵略を防いでゆくことである、そのためには日本の軍備を強化することは勿論である、というわけです。

(渡辺注:この本が出版されたのは1973年、当時社会主義国家だったソ連と米国が冷戦状態で、その代理戦争ともいえるベトナム戦争が1960年頃から続いていました。)
 
この人たちには、日本の本質も、理想も天命も無いわけです。そういうことはひとまずおいて、現在に処するということなのであります。

現在に処して後はどうする、そういう後のことはその時になって考えるわけです。

いつでも他国の動きによって動くわけでありまして、敵と思われる国々をすっかり絶滅させるまでは、世界平和ということは考えられないわけなのです。
 
ところが、私どもの霊的考察によりますと、敵があるとか無いとかいう問題ではなく、宇宙の進行による地球波動の変化につれて、どうしても変化させねばならぬ、宇宙観、人生観の問題でありまして、地球人類側にその変化に対応する心がまえがなければ、人間としての敵ばかりではなく、地球波動の変化による天変地異による、大悲劇がもたらされるかも知れないのです。

ですから共産主義国のすべてを叩きふせても、それは一時遁れのものであって、無駄骨折りに過ぎないものであるというのであります。

しかもその無駄骨を折るのには、やはり地球人類の運命をかけ、多大の犠牲をはらい、時によれば、地球人類滅亡の危険さえあるのです。

ここでもう一つ問題になるような質問がきているので、その答もかねて書いてゆきましょう。


職に身命を捧げるということ

それは、釈迦族が、毘瑠璃王に攻められた時、仏教の教えにより無抵抗で立った人たちのある中で閃婆という勇者が、敵に立ち向い、多くの敵を倒して城外に逃がれ、その途中で釈尊に出会い、釈尊からその働きをほめられて、釈尊が自ら毛髪と爪を切って、この閃婆に与えるというところが、私の書いた「釈迦とその弟子」という創作の中にでてきます。
 
その質問は、殺傷を冒してはならぬと常日頃説いている釈尊が、何故殺傷を冒して逃げてきた閃婆をほめたたえたか、というのであります。

私はその質問には次のように答えます。
 
人間というものは、自分の生命を生み育てて下さった天地自然というもの、父母というものに感謝すると同様に、自己の所属する集団というもの、小さくは会社でも大きくは国家というものに必然的に愛を持ちます。

祖国を愛する、という感情は常人なら誰しも持っています。それは当然のことで、素直な天与の心です。

それから軍人なら軍人になったことは、それはその人の因縁であって、武によって国を護る因縁がその人にあったということになります。

軍人になる因縁によってそうなったら、その因縁を因縁としてではなく、天命として完うさせなければなりません。

それには軍人という職に身命を捧げきることです。
 
そう致しますと、一たん敵が攻めて参りますれば、軍人はその敵を倒し、味方を勝利に導かねばならぬ役目を持っているのですから、自己の好むと好まずとにかかわらず、戦わねばなりません。

無心で国の守りの戦に全力を挙げた時、その軍人はその因縁の立場の中で天命を果したことになるのです。

それを、軍人が、軍人という因縁によってつくられた立場の中で、俺は戦いが嫌だといって逃げかくれしたら、その因縁は果されず、天命も果されず、その人の生命の働きは死んでしまうことになるのです。
 
これが同じ戦わぬにしても、自己の身心を投げ出した無抵抗に徹しての態度なら、これも因縁を超越して生命を立派に生かしたことになります。

どちらかに徹し切った心にならぬと、その人の因縁も消滅しないし、天命も完うされないのです。

軍人になる因縁がなければ軍人にはなりません。

釈尊のころでも、戦時中の日本でも、軍人になるまいと自分できめても、肉体的に軍人に適すれば、徴兵されてしまいました。

私など軍人になる因縁がなかったので、遂に一度も軍服を着たことがありません。

そういうわけで、釈尊が殺傷を冒してきた閃婆をほめたたえたのは、軍人としての天命を身心をかけて成し遂げてきたからなのであります。
 
 
武力をもって世界平和達成は不可能

私の説いている平和の祈りは、肉体生命の死滅を恐れて説いているのではありません。

個人、国家、人類を通して、すべての人々が永遠の生命を自己のものとして把握できる道が、世界平和の祈りの中から生れてくることを説いているのであります。

永遠の生命の道が、共産主義国を倒すことによって開くものなら、どんな武力をもってしても、それを成し遂げなければなりませんが、相対的な敵対行為によって得た道から永遠の生命を見出すことは到底できないところです。

何故ならば、相手がどのように悪い国であろうとも、敵として殺傷した場合には、相手国の人々の心に憎悪の感情を植えつけてしまいます。

まして、相手の国は自国のほうが悪いなどとは思ってもいないで、かえって向ってくる国を悪い国としてみているのでありますから、よりその憎悪の感情は強いわけで、その憎悪の感情想念は、この地球界の波動を醜く汚してしまうのであります。

そして、自分たちを叩いた国家の人々の上にその憎悪の想念波動を叩きつけてくるのです。

それは皆さんの中でも理解できない人があるでしょうが、その想念波動は、肉体があるなしにかかわらず、相手国の上に襲いかかってくるのです。

ですから、武力によっての世界平和の達成ということは絶対にでき得ないことなのです。

世界平和はお互いの生命が真実に融合した時にできるのであって、生命を和合させぬ想念波動があっては、到底達成されないのです。

そこで私は世界平和のために武力をもつということは、この世では世界平和は達成されないと思っている人々の思想であって、それはもうすでに過去の時代の思想であることを人々に知らせたいのであります。

よく、強盗が襲ってくる気配があるのに、その防備をしないということがあるか、国家もそれと同じことだ、というようなことばをききますが、強盗は強盗自身も自己の行為を悪と是認しております。

すべての人々が悪と思っております。

そういう相手を倒すのと、その国家のために忠誠を尽している人々を殺傷するのでは、全く意味が違うのでありますし、その戦いにおいて宇宙世界に及ぼす不調和波動が非常に大きな悪い影響を地球世界にも他の星々にも与えるのであります。

そういう真理を知らない人々に、一日も早く、真理を知らせ、日本の真の理想と天命を知らせたいものであります。そのための世界平和の祈りであるのです。
 
個人がその職務を完うするために戦うことは是認せられても、国家がそうした個人の犠牲の上に、自国の権威を示そうとすることは、地球平和を乱す悪行為ということになるのであって、私どもはあくまで、日本国家をそうした方向に持っていってはいけないのであります。

永遠の生命を人類に確立させ、世界完全平和達成の先達となるための働きを、私たち一人一人が心をこめてなしつづけなければなりません。

あらゆる国家民族というものは、お互いが他国と違った特徴をもち、天命をもっているのであって、その天命を各国が完うすることによって、この地球人類が一段と高次元の世界の住者となり得るのであります。
 
そのさきがけの世界平和の祈りであることを、皆さんどうぞ心に銘じていて下さい。

そして、日々の祈りに精進して下さい。やがては、皆さんの祈りに同調してくる人が、日本中に満ちてくることでありましょう。

  
暗黒思想を消滅させるもの

ところが、ここで問題になってくることは、やはり、世界制覇をめざして、着々と思想謀略を計っている国家や集団があることと、虚無主義的な破壊思想をもっている集団のあることなのです。
 
これらの国家や集団は、日本の労働争議や学校騒動などを牛耳り、あらゆる手段をもって、日本の現在の政治体制を根底からくつがえして、自国や自分たちの思想のままに、日本を操ろうとしているのであります。
 
それは単なる共産主義者たちだけではなく、もっと奥深い暗黒思想なのです。

ですから表面に現われている共産主義者や、共産主義国を叩いたとしても、それでよいのではない、と私はいっているのです。
 
こういう謀略をよく知っている憂国の人たちは、その謀略を防ごうとして必死になって活動しているのでありますが、現実的には、そういう謀略を受け入れ易い状態が世界中にあり、日本にもありまして、現在の宇宙観や人生観では、とてもその侵略を防ぎ得るわけにはいかないのです。
 
そこで憂国の人たちは、心痛しながらも、そういう謀略があるのだ、日本の危機だ、世界の危機なのだと叫びつづけるだけで、どうにも具体的な手が打てずに切歯扼腕しているのであります。

そこでどうしても、国内防衛のためにも、外交政策のためにも、軍備を充実させねばならぬ、というように武力に頼る方向にその主張が向いていってしまうことになるのです。
 
私なども現実的な面だけをみている時には、その人たちの気持がよくわかるのですが、そういう主張がかえって、暗黒思想団体の謀略のうまい口実になり、日本の右翼が日本を再び軍国主義にさせようとしている、というような喧伝をして、民衆は大体もう戦争にはこりごりしていますので、そういう喧伝にうまく乗ってしまい、日本の思想が分裂させられてしまうのです。
 
このように、日本の思想が分裂していることが一番危険なことだと私は心配するのであります。

日本の思想が分裂していることは、何かの拍子に火がつくと、内乱にまで発展しないとはいえないのです。
 
暗黒思想の謀略は実に危険であり困ったものですが、これを抑えるのに軍備というのも、業因縁の流転でありまして、これではいつまでたっても日本の平和も世界の平和も成り立たない、と私は説いているのであります。
 
ですから、どこからどこまで考えても、結論としては、神のみ心の大調和精神に沿って、世界平和の祈りを根底にして、すべての行動としてゆかねばならぬということになるのであります。

今日の世界では、今までのような神を離れた、小智才覚だけの生き方では、自分をも国をも人類をも守り得ないことが明らかになってきているのです。

そのことを、つきつめて考えてみることが、人々にとって必要なのであります。
 
共産主義をも、その底に暗躍している暗黒思想(こういう存在を知っている人はあまりいないのですが、一口にいうと、自我欲望のためなら、人を殺そうと、自国を売ろうと、他国を滅ぼそうと、如何なる卑劣な残酷な手段をもっても自己の欲望を達成するという、それでいて、表面の姿は立派な社会人であり、高位高官であったりする)をも消滅し得るのは、救済の大光明の光明波動よりないのです。
  

純潔なる平和の祈りこそ真の力

先程から何度びも申しておりますように、表面に出ている共産主義者や共産国を、いくら武力で叩いても、この暗黒思想団体は武力で叩くことはできないのです。

何故かといえば、彼らの正体は実に巧妙に隠されていまして、どのようにしても、その正体を明らかにすることができないからなのであります。
 
この人類の中には、普通人の心ではとてもはかり知れないような存在があるのでありまして、正しい良識者たちの頭で判断しただけでは、どうにもならない人物や事柄がたくさんあるのです。
 
こういう人類に必要でない存在を消滅せしめるのは、祈りの力より他にないのであります。

武力でも金力でも作戦でもなく、祈りによって地球人類の上にひびきわたる、神の光明と、大調和科学による波動調整によるより他に方法はないのです。
 
日本の運命を案じ、世界人類の滅亡を防ごうとして、各種の運動をしている、愛国者や人類愛に燃えている人々が、いても立ってもおられぬ気持で日々を送っておられるのはわかりますが、焦燥のあまり、武力に頼ろうとしてしまったら、暗黒思想者たちの思う壷であることに想いを至し、あくまで、徹底した平和主義を貫き通さねばなりません。
 
それには、この小論文でくどくどと申しておりますように、この世の出来事の目にあまる事柄もすべて消えてゆく姿として、世界平和の祈りの中に投入し、平安の気持ちになって、日本人全員の気持を、完全平和達成の希望の道である、平和の祈りに統一してゆくことが何にもまして大事なのであります。

現在の日本は、天皇の下に帰一する心になることは悲しいながらできません。

そこでどうしても、人類全般の大願目である、世界平和を願う想い、一歩進めて、世界平和の祈りの中で、日本人の心を帰一させてゆかねはならぬのです。

一億人民の光明心こそ、世界人類すべてを大光明化する、唯一無二のものとなるのであります。
 
これこそ、日本民族の天命であり、理想でもあるのです。

私どもは神の大愛を信じきっております。

神の大愛が、心の底から平和を熱望する日本民族の悲願を受け入れないわけはありません。
 
この平和の心は純粋であって汚れがあってはなりません。

片手に武器をもった平和の祈りなどあるものではありません。

そうした純潔なる平和の祈りこそ、神の大愛を真直ぐにこの地球世界に及ぼし得る祈りなのであります。

私たちは身命を投げうって、この道を貫き通してゆきたいものであります。

(以上、「「日本の心」五井昌久著、白光真宏会出版局刊より転載)



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プロフィール

三休さん

Author:三休さん
のブログへようこそ!

昭和28年東京都江戸川区  小松川の生まれ

都電の西荒川駅前にあ
った生家には、故赤塚不二
夫さんが下宿していました。

上の写真は、昭和30年5月石森章太郎さんが赤塚さんを訪ねてきた時のもの。

赤塚さんは、その2年後有名なトキワ荘に引越しました。

徒歩数分の石毛肉店には、私と一緒に住んでいた従姉と同じ深川高校に通う五月みどりがいて、この翌年に歌手デビュー。

生家の2軒隣にその数年後、横綱柏戸が引越してきました。

私は、その後両親が近所に建てた家に引越したのですが、3軒隣にラグビー日本代表だったターザン橋本(本名橋本晋一)氏が住んでいて息子が私と同級生。

息子H君はその後早稲田ラグビー部の主将。

私が小中学校時代に通ったラグビースクールで一緒にプレーした新日鉄釜石7連覇の立役者Mr.ラグビーと言われた松尾雄治君とその後早明戦で戦ったのには驚きました。

私も高校でラグビー部に入ったのですが、挫折。結局それが遠因で、精神世界に。

そして今に至るのですが、何が幸いするか分かりません。

もし、そのままラグビーを続けていれば、何がしかの世界で成功したかもしれませんが、失敗の人生を歩んでいた可能性があります。

真の意味での成功者とは、永遠不滅の至福の境地である「悟り」に達した人々のことであり、そこに向かって着実に前進している人々のことを言います。

(「悟り」「真の成功者」に関して詳細は、本ブログ記事「ホイットニーの死をバガヴァンの教えから考察する」等をご参照ください。)

まさに「人間万事塞翁が馬」。

趣味は瞑想です。

1977年から瞑想しています。      
基本的に24時間瞑想しています。
もちろん、座って瞑想するのも大好きです。

意識の内側へ入れば入るほ
ど、より覚醒し、より自由に
なってゆきます。

瞑想をとおして、
この世界のあらゆる楽しみ、
快楽をはるかに凌駕する
時間、空間を超えたこの
現象世界の源である
永遠不滅の純粋意識、
そしてその本質である
絶対的な自由と愛と至福を体験します。

多くの方にこの事実を体験を通
して知って頂きたいと思ってい
ます。

覚醒剤もドラッグもいりません! 

ただし、瞑想には、効果的で正しいやり方があります。

正しい角度で飛び込み、正しい泳ぎ方を身につけることで、スムースに海中深くに潜ることが出来ます。

それと同様で、効果的に効率よく、マインド(心)の内側深くに入り、究極的にはマインドを超越する方法が、正しい瞑想法です。

古来より覚者方より様々な瞑想法が、伝えられております。

マインド(心)は、永遠でもなく、真我(本当の私)ではありません。

その正体は思考であり、常に変化して止まず、幻影です。

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